ひとり分の湯

ウラシリ怪談

三月十七日、北の県の小さな銭湯の引き戸に、一枚の紙が貼り出されたそうです。燃料費の負担により、五月末で営業を終えること。開いたのは一九六八年で、長く近所に支えられてきたことへの礼が、黒い文字で静かに並んでいたといいます。

その夜から、閉店後の湯の減り方が変わったそうです。最後の客が出たあと、栓を抜く前の大きな湯舟だけ、水位がきっちり一人分下がっている。誰かが肩まで沈んで、少しのあいだじっとしてから出たような減り方だったといいます。けれど番台からは、暖簾も下足箱も、誰も動かしていなかったそうです。

はじめは見落としだろうとされたそうです。春先は光の加減で水面が読みにくいですし、客足も途切れがちだったからです。けれど、減るのは決まって、閉店の札を裏返したあとだけでした。しかも一度だけではなく、毎晩、同じ深さで。

湯温を少し下げ、営業時間も詰めていた頃、洗い場のいちばん端に置いてある古い腰掛けが、朝になるたび濡れていることに気づいた人がいたそうです。そこはもう使っていない場所で、鏡の縁も曇り、シャワーの金具も半ば白く曳いていたといいます。誰も座っていないのに、石鹸箱だけがきちんと左側へ寄せられていたそうです。

妙だったのは、脱衣所の紙でした。入口の張り紙とは別に、便所の棚に置いてある紙巻きだけが、毎晩ひと巻きぶんずつ軽くなっていたのです。近くの組合が「紙はほとんど国内のもので足りているから慌てないように」と知らせていた頃で、持ち去る理由もなかったそうです。なのに朝になると、芯は残らず、代わりに鏡の下に細く折られた紙片が一枚、濡れずに置かれていました。

紙片はいつも同じ形でした。四つに畳まれていて、開くと中は白いまま。ただ、指でなぞると、見えない窪みだけがありました。古い住所を書く欄のようでもあり、誰かの名前を受け取る欄のようでもあったそうです。そこへ鉛筆を寝かせて擦ると、ときどき数字だけが浮いたといいます。一九六八。あるいは、三・一七。あるいは、五・三一。

それでも営業は続けられました。湯を止める日までは開ける、と決めていたそうです。常連は張り紙の前で「仕方ないね」と言い合い、帰り際には、いつもより長く暖簾を見上げたといいます。けれど四月に入るころから、風呂上がりの客の中に、見覚えのない顔を話題にする者が増えました。誰も知らないのに、皆が「前から来ていたような気がする」とだけ言う。名を訊こうとすると、もう脱衣籠がひとつ減っていて、床には水の輪だけが残っている……そんな具合だったそうです。

五月の終わりが近づくと、一人分の減り方が変わったそうです。湯舟の水位ではなく、湯そのものの色が、そこだけ少し古く見えたといいます。夕方に沸かしたばかりなのに、端の一角だけが、長く使われた浴場の湯のように柔らかく曇る。誰かが入っているとは見えないのに、そこへ桶の水を打つと、肩口にかけるような音が一拍遅れて返ってきたそうです。

最後の夜、暖簾を下ろし、番台の灯りを消したあとで、主人はいつものように見回りをしたそうです。湯舟は静かで、洗い場も空のまま。けれど、端の腰掛けの前にだけ、畳んだ紙片が三十数枚、きれいに重ねて置かれていたといいます。どれも白く、濡れておらず、指で押すと薄い窪みがあるだけでした。

主人はそれを数えなかったそうです。数えてしまうと、誰が最後まで通っていたのか、分かってしまいそうだったからだといいます。

五月の末で閉じたあとも、その建物の前を通ると、ガラス戸の曇りが一か所だけ内側から丸く拭われている朝があるそうです。そこは、閉店後も毎晩きっちり減っていた、大きな湯舟の高さと同じ位置なのだそうです……そんな話を聞きました。

この怪談は、以下の記事をきっかけに生成されたフィクションです。

From chemical producers to sento baths, Japan feels the heat from Middle East supply crisis | Reuters

reuters.com

 

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