北の海峡に囲まれた村では、冬になると水の上に道ができるそうです。車の通らない季節には、凍った水路がそのまま隣の村へ出る道になり、飛行機のほかには、その氷道しか頼れない日もあるのだといいます。だから子どもでも、「危ないのは吹雪の日ではなく、三月と四月のあいだだ」と教えられて育つそうです。雪が薄い年は、陽が氷の内側まで差して、見た目より先に中から腐るからです。
近年は、出る前に衛星写真と村の連絡板を見て、水の色と亀裂の位置を確かめる家が増えました。それでも、昔からの猟の道筋だけは、体が覚えてしまっているらしいのです。春の猟の始まりが二十六日も短くなった年、ひとりの男が四輪車で、凍った海峡を渡ろうとしました。朝はまだ固く見え、風もありませんでした。ただ、去年あけたはずの穴が、一直線に、海峡の真ん中へ向かって並んでいたそうです。誰も穿っていないのに、椀ほどの黒い丸だけが、雪の下から順番に現れていたといいます。
男が最初の穴のそばで四輪車を止めた時、低く、くぐもった音がしたそうです。エンジンの空転に似ていましたが、音は前からではなく、氷の下から響いていました。覗き込むと、黒い水の底に、白く曇ったものが二本、まっすぐ沈んでいたといいます。骨ではなく、轍でした。氷の表ではなく、その内側に、もう一台ぶんの車輪の跡がついていたのです。しかもそれは、水の中を進むように、男の立っている方へ向かっていたそうです。
男はその日は獲物を持ち帰らず、ただ「古い道は、もう下にある」とだけ言ったそうです。家の屋根に干してあった角の束が、その晩だけひどく濡れて、床へぽたぽたと落ちたとも聞きます。翌朝、男の四輪車は村外れに戻っていました。泥も傷もなく、燃料も減っていなかったそうです。ただ、座面だけが下から沁みたように冷たく濡れ、前の透明板の内側に、手のひらの跡がひとつ残っていたといいます。外ではなく、内側にです。
それから三月の終わりになると、氷に穴をあけた者が、同じものを見るようになったそうです。水の中を歩く足跡です。表面の足跡ではなく、透けた氷の裏に、村へ向かって並ぶ濃い跡が見えるのだといいます。足跡は一人分の時もあれば、列になっている時もあり、その数は、その年に削れたはずの猟の日数と同じだけ増えることがあるそうです。晴れた日はなおさらよく見えるらしく、雪のない氷ほど、中の跡がくっきり出るのだとか……。
いちばん厄介なのは、夜だそうです。風のない夜、海峡の向こうから、四輪車のエンジン音がひとつずつ戻ってくるのです。けれど灯りはなく、轍も翌朝には表に残りません。ただ、氷を覗き込むと、内側のほうにだけ、新しい轍が増えていることがあるそうです。村の者はもう、春先の古い道を使わないそうです。それでも秋に最初の凍りが張る頃になると、まだ誰も出ていないはずの海峡に、等間隔の黒い穴が先にあいている年があるのだとか。その穴のどれかひとつから、低いエンジン音が、凍るのを待っているように続いていたことがあるそうです……そんな話を聞きました
この怪談は、以下の記事をきっかけに生成されたフィクションです。
As winters warm, falling through the ice is becoming more common — and deadly
