給水タイムの奥

※写真は無加工 写真怪談
※写真は無加工

幹線道路に面した配送業者の搬入搬出口は、いつもなら「音」で満ちている。
大型車の風切り、信号の途切れない通過音、荷台の板が鳴る乾いた響き。夕方なら、むしろ日中よりうるさいはずだった。

その日、私は取材のついでに一枚だけ、建物の“裏”を撮っておこうと思った。
開け放たれた搬入口の向こうに、蛍光灯が何本も平行に並び、青いコンテナと段ボールが積まれ、台車やパレットが整然と置かれている。左寄りの高いホームに作業員が一人、箱の山の陰で身体を折るようにして作業をしていた。

さらに奥、右側の暗い通路に小型バンがいて、ヘッドライトだけが点いていた。オレンジコーンの脇から、光がぬるく床へ伸びている。

おかしいのは、音だった。
道路の交通量は見えるのに、ここだけが真空みたいに静かで、耳の奥の血の音のほうが大きい。蛍光灯のジジジという唸りさえ、どこかで吸われていく。

私はその違和感を言い訳にして、シャッターを切った。
搬入口の縁にある黒いゴムのバンパー、床に敷かれたゴムマット、青い扉の矢印、積み上がる青い箱、暗がりのバンのライト。全部が同じフレームに収まるように。

作業員は振り向かなかった。
バンも動かなかった。
それなのに、ライトの前だけは“何か”が通ったように、照らされた空気が一瞬だけ濃くなった気がした。

帰宅して、PCで写真を確認した。
広角で撮ったせいで細部は小さい。
右奥の暗い通路、バンの右側の壁際だけは、なぜか最初から目が離れなかった。
それでも、右奥の暗い通路が気になって拡大した瞬間、指が止まった。

バンの右側、暗闇の壁際に、薄い白が立っている。
最初は反射だと思った。次に、梱包材の切れ端か、壁の汚れかと考えた。でも、拡大していくと“立ち方”が人間のそれだった。膝が少し折れて、肩が落ち、腕だけが不自然に長い。身体の輪郭が、ヘッドライトの光を吸っている。

そして、その白いものの「顔」が、壁のほうを向いていた。
いや、壁のほうを向いているのではない。壁に“押しつけられている”。

見えるはずのない鼻の凹みと、口の割れ目。頬のあたりに梱包テープのような直線が何本も走り、そこだけが濡れたように光っている。目の位置には黒い穴が二つ。穴の奥に、さらに小さな光点があり、まるでレンズの反射みたいにこちらを返してくる。

写真に、写ってはいけないものが写っていた。

その場で削除しようとして、やめた。
理由は単純で、削除ボタンを押すたびに、写真アプリが一瞬だけ固まったからだ。まるで、端末の中で誰かが「それは荷物だ」と言い張っているみたいに。

翌日、私は同じ時間にもう一度、搬入口へ行った。
確認さえできれば、ただの見間違いになる。そうすれば安心できる。そう思った。

搬入口は昨日と同じ構図だった。
蛍光灯、箱、台車、青い扉、矢印。作業員も一人だけ。奥の暗い通路に、小型バン。ヘッドライト。

そして、音がない。

道路の車は走っている。遠くで信号が変わっている。なのに、ここだけが“無音の膜”に包まれている。足元のゴムマットを踏んだはずなのに、ゴムの沈む気配だけで、音が生まれない。

私は作業員に声をかけた。
返事はない。振り向きもしない。

その代わり、蛍光灯が一本だけ、遅れて明滅した。
風はない。換気扇の音もない。なのに、明滅の間だけ影が伸び縮みする。ここだけが、まだ現実に追いつけていないみたいだった。

バンのライトが、少しだけ明るくなった。
コーンの影が伸び、暗い通路の壁が浮かぶ。
そこに、昨日の“白いもの”が、いた。

写真で見たより近い。
立っているのではなく、壁に貼りつくようにして、横向きにずれている。身体の端が壁の角に引っかかり、剥がれかけたラベルみたいに、少しずつこちらへ剥がれてくる。

私は無意識に、カメラを構えた。
現実を写真に閉じ込めれば、少なくとも「外へ出る」ことはない気がしたからだ。

シャッターを切る。

切った瞬間、音が戻った。
……と思った。違う。戻ったのは道路の音じゃない。カメラの内部で、何かが擦れる音。紙が引きちぎられる、あの音。

背筋が冷えて、私は撮ったばかりの写真を確認した。
そこには、搬入口の全景が写っている。昨日と同じ構図。蛍光灯。箱。台車。青い扉。矢印。暗い通路のバンのライト。

そして、ホームの縁。
黒いバンパーの上に、白いものの“指”が一本、かかっていた。

写真の中でだけ、白いものは「搬入口のこちら側」に触れている。
現実の私は、その指を見た瞬間、理解してしまった。あれは写ったから存在するのではない。写ったことで、搬入口の境界を「通れる形」に整えられてしまったのだ。

青い扉に貼られた矢印が、妙に目についた。
あれは元々、作業の動線を示すだけのものだ。なのにその時は、まるで矢印が私に向けて、こう言っているように見えた。
「こっちへ運べ」

私はカメラを抱えて後ずさった。
搬入口の外へ出れば、幹線道路の音が戻るはずだ。そうすれば膜は破れる。境界は閉じる。

ところが、外へ出た瞬間も、音は戻らなかった。

車は走っている。人も歩いている。信号も変わっている。
なのに、世界全体が音のない映像になっている。私の呼吸だけが、胸の中で湿った音として響く。

振り返ると、搬入口の中のヘッドライトが、こちらへ向いていた。
その光の中で、白いものが壁から剥がれ、ゆっくりとこちらへ“運ばれて”くる。歩いているのではない。引きずられている。床を擦る音は、やはりしない。

私はその場で、カメラのメモリーカードを抜いた。
そして、指で折ろうとした。だが、折れない。硬い。ありえないほど硬い。

折れない代わりに、カードの表面に、見たことのない印字が浮かび上がった。
バーコードのような黒い線と、配送ラベルのような小さな文字。
宛先欄に、私の名前があった。

その晩、私は部屋で明かりを全部つけて、何度も写真データを削除しようとした。
削除するたびに、スマホが一瞬固まって、同じ写真がアルバムの先頭に戻ってくる。

しかも、戻るたびに変化していた。
白いものの指が二本になり、次は手首が現れ、次は肘まで出ていた。
搬入口の黒いバンパーが、まるで荷物の受け皿のように見えてくる。

最後に見たとき、白いものはもう“ホームの上”にいた。
青い箱の影と、オレンジコーンの影の間に、白い身体が折りたたまれて、まるで梱包される前の荷物みたいに横たわっている。
顔だけがこちらを向き、壁に押しつけられていたはずの頬が、今度はガラス越しに“押しつけられて”いた。

スマホの画面に、ぬるりと濡れた跡がついた。
指で拭うと、透明な水が伸びる。

それ以来、私は搬入口の写真を撮らない。
物流の裏側を撮らない。暗い通路を撮らない。ヘッドライトを撮らない。

でも、夜に部屋を消して窓ガラスを見ると、反射の奥で、二つの小さな光点が点いている。
ヘッドライトではない。
カメラの中で、擦れる音がする。
荷札が、剥がれる音がする。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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