押印欄がひとつ多い

ウラシリ怪談

ある町の役場で、決裁が電子化されたそうです。
職員は百数十名ほどいるのに、紙を読み取れる複合機は三台しかなく、階段を上り下りして並ぶ時間だけで仕事が止まる――そんな日々が続いたといいます。

そこで、各課の机の端に置けるA4の小型スキャナーが何台も配られました。
本庁に半分ほど、離れた外局にも一台ずつ。紙の申請や通知は、とにかく読み取って添付し、画面上で回覧して承認する。年間で二万件を超える決裁が流れるのだから、速さが正義だったそうです。

異変は、その「添付」の部分から始まったといいます。
以前は、書類のいちばん上に押印欄のある頭紙を付けて回していた。今も癖で、頭紙だけは必ず一緒にスキャンする課があったそうです。印鑑の枠が並ぶ、あの一枚です。

ある日、頭紙の枠が一つ増えていた。
誰かが様式を更新したのだろう――最初はそう片付けられたといいます。けれど増えた枠には、ラベルがありませんでした。役職名も、部署名も、空白。押されるはずの印もない。ただ、そこだけ紙の繊維が妙に潰れて、薄く円い“擦れ”が残るように写ったそうです。

その空白は、決裁の流れが速くなるほど増えました。
一件に一つではなく、同じ日の書類すべてに現れる日がある。翌日には消える。夜間にまとめてスキャンした分にだけ混ざる。外局から回ってきた分にだけ付く。規則があるようで、ないようだったといいます。

やがて、承認が「終わらない」書類が出たそうです。
画面上では決裁済みになっているのに、最終欄が赤く点滅し続ける。押されていない欄がある、とシステムが言い張る。点滅しているのは、あの増えた枠でした。

担当者がその欄をクリックすると、署名の代わりに、画像が一枚だけ開いたそうです。
白い紙の中央に、薄い円。印鑑の輪郭のはずなのに、印影の中に指紋のような線が走っている。文字はなく、ただ、誰かが湿った指先で押し当てて、ゆっくり離したような跡だけがある。
その画像のファイル名は、決裁番号と同じ桁数の数字で、末尾だけが「60」になっていたといいます。秒は「59」までのはずなのに、と。

印影は、翌朝には別の書類に移っていたそうです。
外局から来た申請、庁内の購入の起案、窓口で受け付けた通知の収受――種類を選ばず、必ず「頭紙」にだけ残る。印の枠が増えている頭紙を添付しない課の書類には、出ない。まるで、紙の上の“順番”にだけ執着しているようだったといいます。

それでも業務は止められない。
空白の欄は、いったん無視して先へ進めるように設定が変えられました。点滅は消え、決裁は流れ、ペーパーレス化は前に進んだ。
ところが、その翌週から、紙の保管量が目に見えて減り始めたそうです。廃棄したわけでも、移管したわけでもない。書庫の棚が、少しずつ軽くなる。背表紙の数は同じなのに、中の束が薄い。頭紙だけが、ぴたりと抜け落ちている。

抜け落ちた頭紙は、どこへ行ったのか。
画面上の添付データには残っていました。ただし、押印欄は必ず一つ多く、空白の枠には、あの指紋のような円が写り込む。
紙の頭紙は消えて、データの頭紙だけが増えていく。役場のどこにも存在しない印が、承認の列にだけ居座る。そういう形になっていったそうです。

最後に残った記録は、外局の一台のスキャナーに関する保守報告だったといいます。
外局から送られたログには、「読み取り成功」の回数が、実際の決裁件数より毎晩一件だけ多い日が続いていた。増えた一件のファイルサイズは、いつも“頭紙一枚分”。添付先は、どの書類にも紐付いていないのに、削除しようとすると「決裁が未完了です」と返される。
そして、そのファイル名だけが、毎回少しずつ変わっていたそうです。決裁番号のように見えて、どこにも該当しない番号へ――まるで、誰かが「自分の番」を作ろうとしているみたいに。

役場ではその後、頭紙をスキャンしない運用に切り替えたそうです。
空白の枠は出なくなり、点滅も消え、書庫の軽さも戻った。けれど、切り替え初日の朝だけ、全課の端末に同じ通知が出たといいます。
件名は空白。本文も空白。ただ、添付ファイル欄に、頭紙一枚の画像があり、押印欄が一つ多いまま、最後の枠だけが濡れたように黒く潰れていたそうです。誰も開かずに消した――そう報告されていますが、その通知が本当に消えたのかは、確かめた人がいないようです……。

この怪談は、以下のニュース記事をきっかけに生成されたフィクションです。

役場の各課に設置したコンパクトスキャナーで紙の書類をスキャンし電子決裁を円滑化 | デジタラクル

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