剪定後の空巣

写真怪談

冬の公園は、音が少ない。葉を落とした枝が空をひっかくだけで、踏み固められた土はきしむ気配すら出さない。

その公園の一角だけ、いつも通り道になっていた。烏の巣がいくつもあった頃、下には屋根だけの白い簡易テントが張られていて、糞を避けながら人が通れるようにしてあった。屋根の布は白いのに、裏側には黒い点が乾いて残り、雨のしみみたいに広がっていた。

剪定が入ったのは、ちょうど寒波の翌週だったと思う。高い木が三本、幹だけを残して枝を刈られ、巣も撤去された。枝先に残るのは、ほつれた房のような枯れたものだけ。見上げると、街灯がひとつ、吊り下げられた牢みたいに黒く下がっている。

最初に変だと思ったのは、烏が戻ってきたのに鳴かなかったことだ。鳴き声だけは騒がしくていい。むしろ、騒がしい方が「まだ生きている」と思える。ところがあの日、黒い影は枝に散っているのに、音がひとつも落ちてこない。

そして、糞が落ちた。

巣はもうない。枝も少ない。空は厚い雲で塞がれていて、鳥が旋回する余地もない。それなのに、白いテントの屋根に、ぼとり、と重たい水音がした。次いで、ぼとり、ぼとり。雨じゃない。雨なら散る。落ちたそれは、粘って、布の上で形を保った。

誰かが笑って「まだいるな」と言った気がする。でも、笑い声は自分の喉から出ていなかった。寒さで息が漏れたのだ、とその時は思った。

テントの下をくぐると、妙に生ぬるい。冬の空気のはずなのに、頭の上だけが湿っている。背中を押されるみたいに足が早くなり、振り返るのが億劫になる。屋根の白が、どこか病室のシーツみたいに見えるせいだろうか。

数日後、三本の木の間に張られた支線が、目に入るようになった。細い線が、空中で互いに結ばれている。倒木防止のため、そう説明されればそれまでだ。けれど、支線の角度が不自然だった。地面へ降りるのではなく、枝のない空へ向かって、三本の木の間を縫うように張られている。

縫い目だ、と思った。

切り落とされた枝の断面は、どれも新しい傷口の色をしていた。そこから上の空だけが、別の素材でできているように見える。雲が流れるはずの場所に、薄い膜がかかっている。膜の上を、影が動く。烏の影ではない。枝の影でもない。巣の影だった。

巣のない場所に、巣の影だけがある。

白いテントの屋根に落ちる黒い塊は、次第に規則正しくなっていった。線を引くように、円を描くように。いつも同じ位置、同じ数。まるで、撤去された巣を「同じ形で」編み直しているみたいだった。布の上の黒は、乾くと糞というより煤に近い。指で触れば崩れて、手のひらに粉が残る。その粉は洗っても落ちない。水で流すほど、皮膚の皺に入り込んで、線になっていく。

ある夕方、街灯が点いていないのに、灯りがぶら下がって見えた。ガラスの中で、黒いものが動いていた。虫ではない。細い枝が絡み合うみたいに、からからと乾いた音を立てている。カゴの中に巣ができていた。誰も編んでいないのに。

支線が、微かに震えた。

その瞬間、空の膜がたわんだ。三本の木の上、ちょうど支線が交わるあたりで、雲が沈む。沈む雲の底に、穴が開く。その穴の縁が、枝の断面みたいに白い。切り口だ。空が切り取られている。

穴の向こう側から、黒い塊が落ちてきた。今度はテントの屋根ではなく、地面へ落ちた。ぼとり、という音。すぐ横にいた人の肩にも落ちた。悲鳴は出なかった。出す暇がなかった。落ちたそれが、糞ではなかったからだ。

それは、巣の材料だった。

濡れた髪の束。細いビニール片。紙の裂け端。なにかの羽毛。人間のまつげみたいな短い毛。全部が黒い煤で固められて、ひとつの塊になっていた。拾い上げたくないのに、視線が吸い寄せられる。塊の中心に、白いものが見えた。卵の殻のような薄さの、爪。小さな指先。握る形で固まっている。

その指先は、支線の震えに合わせて、ほんの少しだけ開いた。

息が止まり、足が勝手にテントの外へ出た。見上げると、三本の木の上に、もう一本、木があった。雲の中に。枝を刈られた幹の延長線上に、透明な幹が立っている。そこに、巣がいくつもぶら下がっている。撤去されたはずの一〜二個ずつ。きっちり数が揃っている。

ただし、巣の内側は空洞じゃない。

巣は、落とした材料で「中身」を作っていた。煤で固めた塊の中心に、白い爪が増えていく。小さな指が増えていく。数が揃うたび、支線がぴんと張る。まるで、孵すための揺りかごを固定するみたいに。

翌日、公園の白いテントは撤去されていた。通路は開けた。糞害対策は終わったのだ、と誰もが思った。

けれど、そこだけ空気が低い。屋根がないのに、屋根の重みが残っている。人が通ると、見えない布がしなる。頭上で、ぼとり、と音がする。

落ちてくるのは、もう糞ではない。

通り抜けた人の肩や髪から、細い毛が抜け落ちていく。それが地面に着く前に、空中で止まり、見えない糸に絡め取られる。支線が、ほんの少しだけ震える。拾われた毛は、雲の穴へ運ばれていく。巣の中身を編むために。

それから私は、あの通路を避けるようになった。遠回りをしてでも、三本の木の下を通らない。

なのに、帰宅するとベランダの隅に、小さな巣ができていた。枯れ草ではなく、私の髪の毛で。煤の粉で固められ、中心には白い薄片が一枚。爪の先のように尖っている。

上から、ぼとり、と落ちた。

見上げても、鳥はいない。空は晴れている。けれど、街灯のガラスみたいに、私の部屋の窓が黒く映り、そこに巣の影だけが揺れていた。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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