夕方の公園は、いつもより静かだった。雲が低く、街灯が早めに目を覚ましている。芝の小さな広場の真ん中に、編み目の丘が据わっている。青と橙の円が埋め込まれた、やわらかな火山のような遊具だ。
信号が赤に変わる。横断歩道の向こう側に、工事の柵と、夕焼けの名残。私は時間つぶしのつもりで、その編み目を眺めた。穴の数を数え始めたのは、退屈のせいだったと思う。ひとつ、ふたつ、みっつ――数はすぐ曖昧になり、いつまでたっても「ちょうどの数」に届かない。気づけば風が止み、街灯の白が網の中で濡れている。
耳の奥で、空気が吸いこまれる音がした。遊具の中からではない。編み目同士が、穴を通して互いを引き寄せ、すこしずつ形を変える。円と円が寄り合って、ゆっくりと「瞼」に似た輪郭をつくる。視線を逸らすと、輪郭は崩れる。戻すと、また集まる。
この公園には「穴番(あなばん)」がいる――そんな言葉が、どこからともなく思い浮かんだ。遊具の縁、芝の切れ目に、膝の跡のような窪みが等間隔で並んでいる。取り囲むように。数え始めた人の数と、並ぶ窪みの数は、きっと一致する。ひとり多ければ、そのぶんを穴の中にしまう。それが穴番の仕事なのだ。
信号はまだ赤のまま。横断歩道の向こうから誰かがこちらを見ている気配がした。だが動く影はない。代わりに、編み目の奥で橙の円が明滅し、道路の赤が反射してひとつの「瞳」をつくった。穴番の目だ、と理解した瞬間、足首をやわらかい糸が撫でた。見下ろすと、芝ではなく編み目の影が、私の足より先に地面に立っている。影だけが、半歩だけ前に出ている。
歩けば、影が先に歩く。立ち止まれば、影は止まらない。穴番は、穴の数だけ人の仕草を写し、ひとつ余りに私を当てはめようとしている。私は視線を街灯の根元に固定し、数を数えることをやめた。眼をつぶり、赤い信号の音を探した。音は鳴っていないのに、耳が勝手に鳴らしているだけだと気づいたところで、風がやっと戻ってきた。
気がつけば、明滅は消え、編み目はただの遊具に戻っていた。信号が青に変わる。私は横断歩道を渡らず、遠回りして帰った。
翌日、同じ時刻に通りかかった私は、やはり立ち止まった。編み目の円のひとつに、昨夜見た「瞳」に似た模様がある。近づくと、それはただの染め糸の濃淡でしかなかった。けれど、離れて眺めれば、私の目の色に見えた。穴番は、余ったひとつをまだ手放していない。数を数え直す手を、ひとりぶんだけ、空のどこかに伸ばしたまま。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。



