瓶の数え方

晩酌怪談

昼間でも暗い陰を引く路地の角に、その店の窓がある。ガラス越しに酒瓶がずらり。青い「生酒」の丸いシールや市松模様のラベルが冷たい色で目を引く。
ここを通るたび、私はまず本数を数える。 本数を数えるとき、ついあの市松模様のラベルの“顔”で数え終わりを確かめるのが癖になっていた。 そしてもう一つ、毎朝七時半にこの前を通る三人の老人を時計代わりにするのが、いつの間にか習慣になっていた。背の高い先頭は歩幅が大きく、真ん中は薄いベージュの帽子、最後尾は杖をコツコツ鳴らす——三人そろって、私の朝が始まる。

ある朝、瓶の数が合わなくなった。昨日はなかった一本が、列の間に割り込むように出現している。店はまだ開店前、人の出入りはない。内側の曇りが市松模様の白い升目に沿って四角く残り、顔の目と口に当たる位置だけ濃くなっていた。その一本だけ、ラベルの裏で薄い鼻梁と口元の形がうっすら浮いた。

三人組が来るはずの時刻。足音は二つぶんしか聞こえない。路地を横切ったのは、先頭と杖の男だけだった。ベージュの帽子の姿はない。翌朝、瓶はさらに一本増え、曇った楕円が二つ重なって見えた。通りのざわめきが、そこだけ吸いこまれて薄くなる。

数日は様子を見た。瓶が増えるたび、三人組は人数を減らし、そのたび、あのラベルの黒い升目が心持ち濃くなる。偶然だと自分に言い聞かせる。 最後の一人はある朝、窓の前で立ち止まった。ガラスに近づき、ゆっくり息を吐く。内側から返ってくる白い息と、外側の彼の曇りがぴたりと重なり、輪郭が瓶の胴に移る。私はその瞬間、コツ、と杖の音が路地から消えるのを聞いた。

瓶は客を飲むのではない。決まった時刻に通る“声の形”だけを、順番に立たせている。
翌朝、列はきれいに詰め直され、市松模様の一本だけ他よりわずかに冷たく白い。 升目の隙に、見覚えのあるベージュの帽子の影が一瞬収まった気がした。 数は合っていた。私の朝の合図だった足音は、もう戻らない。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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