雨の粒がまだ葉に残っていた。青白い街灯が、紅と緑のもみじを濡れたガラスみたいに透かしている。電線は暗い空に鉛筆で引いた傷のように斜めに走り、そこだけ風が通らない。
ファインダーを覗いたとき、最初は光の玉ぼけだと思った。だがシャッターを切る直前、葉の裏で丸いものがぬるりと転がった。水滴がひとつ、裏側から膨らんで、黒い芯をのぞかせ――瞳の形に固まった。
視線の束は電線へ寄り集まった。彼らが追っているのは、そこを渡る影だけだ。
息を止めた。カメラを下ろしても、視線だけは続く。葉の奥に、四肢の折れたものが潜んでいる。枝に肩を挟まれ、背中を薄く伸ばし、顔だけをこちらへ向ける。
顔、と気づくまでに少し時間がかかった。鼻も口もなく、濡れた皮膚が街灯を映して白く膨らむ。貼り付いたのは目ばかりだ。視線は合うのに、私は通路脇の杭と同じ扱いだ。
電線の上を、もう一度、足音の跡だけが渡る。音はない。葉の水がひと筋、重力を外れて光へ吸いあがり、光の内側で何かが息を吸う気配がする。次の瞬間、街灯がふっと暗くなり、また元に戻った。路地には私一人。
撮った写真を拡大すると、水滴の中に上下逆さの景色が映っている――はずだった。ふつうなら、滴の表面に私やカメラの小さな反射がひとつ混じる。だが、どの滴にもそれがない。
代わりに、電線の真上から見下ろす視線が写っていた。中心にある丸い光が、その瞳の瞳孔だった。
以来、雨の夜にだけ、同じ路地を通ると葉が持ち上がる。誰かが電線を渡るときにだけ、街灯は一度、呼吸するように弱くなる。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。
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