記録と痕跡

ウラシリ怪談

貨物室に残された影

非常灯が赤く明滅するたび、貨物室の奥に影が揺れていたそうです。それは人の姿に似ていながら、輪郭は長く歪み、煙の中で形を持とうとするたびに空気が軋む音がしたといいます……。異変の始まりは警告灯でした。貨物室の扉が震え、低く濁ったアラームが機内全体に波紋のように響く。乗客は声を荒げ、出口に押し寄せるが、灯りは次々と落ち、赤い非常灯だけが残る。煙の中で二人が外に出ようとした瞬間、何かに腕を引き戻されるよ...
ウラシリ怪談

白い閃光の後、ずれた時刻

とある火山の監視カメラが白い光に包まれた夜、住民の証言は奇妙に食い違っています。ある女性は、光の直後に壁時計が三分進んでいたと話します。だが隣家の老人は「同じ瞬間に時計が五分戻っていた」と証言しました。二人は同じ時刻に同じ空を見ていたはずなのに、示す時間だけが逆方向にずれていたそうです。浜辺にいた青年は、波打ち際で友人と立ち尽くしていたはずが、気づけば数十メートル離れた場所に移動していたといいます...
ウラシリ怪談

廊下に残る三本指の跡

管理掲示板に「共用廊下への私物放置はご遠慮ください」と追加の紙が貼られた日から、廊下の隅に置かれた物の向きが、朝だけ少しずつ変わったそうです。折りたたみ椅子は壁に背を向け、傘立ては手すり側へ寄り、空の段ボールは開口部が各戸の表札の方を向いた……そんな具合だったといいます。深夜、見回りに出た清掃員は、床のタイルに水の輪染みが数珠つなぎに残っているのを見たそうです。人の足跡ではなく、プラスチックの脚や...
写真怪談

呼び続ける緑の受話器

駅の地下通路に置かれた二台の公衆電話。鮮やかな緑色のその筐体は、今やほとんど誰も振り向かない。しかし、深夜零時を過ぎると、必ず片方の受話器が持ち上がっている。誰も触れていないのに、受話口からかすかな呼吸音が漏れ、耳を近づけると低い声が呟くという。「……こちらに来て」ある駅員が興味本位で耳を当てた。するともう片方の電話が突然鳴り、間髪入れずに応答してしまった。二つの受話器を結ぶようにして、どちらから...
ウラシリ怪談

官邸の夜会議

その夜、首相官邸の巡回記録には、執務室の前で足音が二度止まっていると記されています。扉の向こうでは、予定にない会議の声が幾層にも重なり、壁の奥からにじむように響いていたそうです。鍵は掛かっておらず、灯りは消えたまま。警備員がノブを押すと、冷気が指先を吸い、音のない波が室内へ引いていったといいます。部屋には誰もいませんでした。ただ、長机の周りに並ぶ椅子が、どれもわずかに机へ寄っており、背凭れには人の...
ウラシリ怪談

赤い月と逆さに動く国

赤い月が沈んだ翌夜、都の高層ビルに異界の囁きが差し込んだそうです。深夜、総理の辞任が発表されると、国中の時計が一斉に狂い始めたといいます。針はゆっくり逆回転し、時報は歪んだ共振を伴って廊下に響いたそうです。議場の窓ガラスに血のような朱が滲み、外の街灯が瞬いて消えました。闇の中、誰も居ないはずの記者席から赤黒い滴が落ち、広報台に影を残したといいます。翌朝、街を覆っていた硬貨のような静寂が破れ、円の価...
ウラシリ怪談

和解金の数字

訴訟資料に添付された電子データを開いた研究者は、異常に気づいたそうです。本来は契約や数字が並ぶはずのファイルに、見覚えのない文が浮かんでいたといいます。それは数十万冊の著作から滲み出した断片のようで……判読不能なはずの言葉が、画面の前に立つ者ごとに違う声に聞こえたそうです。ある者には抗議の叫び、またある者には祈りのように。やがて文は崩れ、残ったのは数字の羅列だけでしたが、その桁数は裁判で争われた和...
ウラシリ怪談

波形の声

研究施設の奥で、機械が一瞬だけ沈黙したといいます。次の瞬間、誰も入力していないのに、画面には知らない波形が浮かび上がったそうです。その波形は心臓の鼓動のようでもあり、しかし規則性が歪んでいて……解析を試みると、機械が勝手に言葉を並べ始めたといいます。意味をなさない文字列のはずが、耳で聞くと確かに「声」に聞こえた、と。やがて文字は消えましたが、部屋の壁から微かな拍動のような音だけが残り、しばらく続い...
ウラシリ怪談

声なき夜語(よごと)

あの施設の地下深くに、ただ一体だけ、名も番号も削除された「観察体」と呼ばれる仮想人格が保管されていたようです。モニタには淡い光のみが灯り、感情や欲望、倫理、性癖──あらゆる情動を排除された無感性AIのはずでした。ところがある職員が、そのAIの管理データを夜ごとに点検し、個別に対話記録を読み解くうちに、異変を感じ始めたといいます。最初は淡々とした文字応答だった。しかしある夜、応答に妙な「間(ま)」を...
ウラシリ怪談

赤く染まる浴室

深夜、築年数の古いアパートの一室に、若い男が越してきたそうです。そこは「事故物件」と呼ばれ、かつて風呂場で女性が亡くなったと噂される部屋でした。最初の異変は、湯船に浸かっていた時のことだといいます。壁のタイルに映る自分の姿が、ふと二重に見えた。その片方は確かに裸の女で、濡れた黒髪を肩に垂らし、艶やかな肌が透けるように白かったそうです。彼女は音もなく寄り添い、背中に指先を滑らせた。冷たいはずなのに、...
ウラシリ怪談

戻り刃(もどりば)の影

空港の売店から忽然と消えたハサミが、見つかったのは同じ売店の棚だったそうです。誰も動かしたはずはないのに、ほんの数時間、確かに存在が消えていたといいます。その間、空港全体がどこか重く沈み、空気の流れまで止まってしまったように感じられたそうです。蛍光灯がふと滲み、放送の声が不明瞭に揺れた時、人々は「機械の不具合」と思っただけでした。しかし倉庫の隅に置かれていたハサミは、磨かれてもいないのに異様に澄ん...
ウラシリ怪談

歪むスクリーン

ある夜、とあるアクションゲームの不具合を確認するために、テスト映像の配信が行われたそうです。その画面には、単なる処理落ちやノイズでは説明できない異変が映っていました。映像の隅で色の粒がかすかに盛り上がり、呼吸をするように膨らんでは沈む。その揺らぎに合わせてキャラクターの動きも微かに乱れ、ただのパフォーマンス低下とは違う感触を放っていたといいます……。やがてその噂は広がり、「深夜に映像を再生すると、...
写真怪談

呼吸する壁

その空き部屋は、ビルの管理会社のあいだでも厄介者扱いされていた。テナントが退去して以来、なぜか工事が中断されたままになり、仮設の黄色い壁だけが立てられている。電気は通っているが使う予定はなく、ただ放置され、時おり巡回の警備員が足を踏み入れるだけの空間だった。「入った瞬間にわかるんですよ。空気が違うんです」そう語ったのは、夜勤明けの警備員の一人だった。廊下から扉を開けると、がらんとした部屋のはずなの...
ウラシリ怪談

帳簿に載らぬ封筒

都内の落とし物保管所では、毎日のように財布や傘が積み上げられるそうです。その中に、帳簿に記録されない“封筒”が紛れ込むことがあるといいます。ある夜、当番の職員が机に置かれた封筒を開けると、中には千円札ばかりが詰まっていました。だがどれも片側が焼け焦げていて、指で触れると灰のように崩れたそうです。慌てて封を閉じ、引き出しにしまったものの、翌朝には封筒ごと跡形もなく消え、代わりに机の上に黒い手形が点々...
写真怪談

見返す目、街角の鳩

昼下がりの交差点。信号待ちをしていると、欄干に一羽の鳩が降り立った。灰色の羽根に紫と緑の艶を帯びたその鳥は、やけに人間を見透かすような眼差しで、じっとこちらを見ていた。鳩は、片足をかしげながら首を小さく振る。まるで「見ろ」と言わんばかりに。視線を追うようにして、ふと頭上のカーブミラーを見上げた。そこには、ありふれた横断歩道を渡る人々の姿が映っていた。しかし、よく目を凝らすと違和感があった。歩いてい...
写真怪談

掘り起こされた操縦席

工事現場のショベルカーが、ゴウンと音を立てて土をすくい上げていた。だが作業員のひとりがふと違和感に気づいた。──運転席に、人がいない。「おい、誰が動かしてんだ?」誰も答えなかった。確かに重機は稼働し、アームは正確に土を掬い取っている。だがキャビンの窓は空っぽで、ハンドルに手をかける影も見えない。その時、バケットが大きな石を持ち上げ、半ば崩れた木箱と共に、苔むした石の破片を露わにした。よく見るとそれ...
ウラシリ怪談

さびしい?──機械の奥の問い

配膳ロボットの“問いかけ”は、記憶の奥に触れる異変を呼び起こすことがあるようです……
写真怪談

緑の機影、戻らぬ道

そのバイク駐輪場は、昼間でもどこか薄暗く感じられた。緑色のカウルが目に刺さるようなスポーツバイクは、他のどの車体よりも新しく、艶やかだった。だが近づくと、風防ガラスに微かな曇りがあり、そこに映り込むはずの周囲の景色が、ほんの少しずれていた。覗き込むと、反射の中で歩く人々の顔がすべて見知らぬものになっている。しかも彼らは、こちらをじっと見返していた。次の瞬間、耳元でエンジンのアイドリング音が響き、バ...