2025-09

写真怪談

呼び続ける緑の受話器

駅の地下通路に置かれた二台の公衆電話。鮮やかな緑色のその筐体は、今やほとんど誰も振り向かない。しかし、深夜零時を過ぎると、必ず片方の受話器が持ち上がっている。誰も触れていないのに、受話口からかすかな呼吸音が漏れ、耳を近づけると低い声が呟くという。「……こちらに来て」ある駅員が興味本位で耳を当てた。するともう片方の電話が突然鳴り、間髪入れずに応答してしまった。二つの受話器を結ぶようにして、どちらから...
写真怪談

連鎖する物音

駅の地下通路に、灰色のカプセルが並んでいた。コワーキングスペースとして普及してから数年、もはや日常の一部でしかない光景だ。彼もまた、そこを通り過ぎようとした。だが、二番目のカプセルの前で足が止まった。――コツ、コツ、コツ……。中から微かな音が漏れていた。完全防音を売りにしているはずなのに。耳を寄せると、それは何か硬いもので机を叩くような乾いた響きだった。奇妙に思い、隣のカプセルに目を向けた。すると...
ウラシリ怪談

官邸の夜会議

その夜、首相官邸の巡回記録には、執務室の前で足音が二度止まっていると記されています。扉の向こうでは、予定にない会議の声が幾層にも重なり、壁の奥からにじむように響いていたそうです。鍵は掛かっておらず、灯りは消えたまま。警備員がノブを押すと、冷気が指先を吸い、音のない波が室内へ引いていったといいます。部屋には誰もいませんでした。ただ、長机の周りに並ぶ椅子が、どれもわずかに机へ寄っており、背凭れには人の...
写真怪談

苔むす隙間から覗くもの

庭の隅に積み上げられた古いブロック。雨に打たれ、苔に覆われ、誰も気にも留めなくなったその塊を、ある夜ふと見てしまった。――苔の奥で、何かが瞬いた。まるで目のように、じっとこちらを窺っていたのだ。翌日、確かめようと近づいてみると、ブロックの隙間から湿った空気が吐き出されるのを感じた。耳を近づけると、小さな声が重なり合って囁いていた。「……重い……暗い……冷たい……」昔、この家の前にあった古井戸を塞ぐ...
写真怪談

排熱の下で息をするもの

雑居ビルの裏手。昼間はただの退屈な景色──自転車、カラーコーン、並んだ室外機。だが、この場所を深夜に通る人は少ない。なぜなら、室外機から出る温風が「規則的すぎる」からだ。ブォオオ、と吹き出す音と風の間隔が、どの機械もぴたりと揃っている。まるでそこに、ひとつの大きな肺が埋め込まれているかのように。近所の配達員は、それを「ビルが呼吸してる」と笑い話にした。しかしある晩、荷物を置こうと階段下に足を踏み入...
ウラシリ怪談

赤い月と逆さに動く国

赤い月が沈んだ翌夜、都の高層ビルに異界の囁きが差し込んだそうです。深夜、総理の辞任が発表されると、国中の時計が一斉に狂い始めたといいます。針はゆっくり逆回転し、時報は歪んだ共振を伴って廊下に響いたそうです。議場の窓ガラスに血のような朱が滲み、外の街灯が瞬いて消えました。闇の中、誰も居ないはずの記者席から赤黒い滴が落ち、広報台に影を残したといいます。翌朝、街を覆っていた硬貨のような静寂が破れ、円の価...
写真怪談

赤い月を結ぶ指

その夜、ふと見上げた月は血のように赤く、電線に縫い止められているように見えた。不思議と視線を逸らせず、じっと見続けているうちに気づいた。電線が震えている。風のせいだと思ったが、夜気は凪いでいた。よく見ると、一本の線の結び目に、白く細い指が絡まっている。指はぎこちなく動き、月を線に引き寄せるように引っ張っていた。それは人間の腕の長さでは届かない高さだった。だが確かに、そこに指がある。やがて月が少しず...
ウラシリ怪談

和解金の数字

訴訟資料に添付された電子データを開いた研究者は、異常に気づいたそうです。本来は契約や数字が並ぶはずのファイルに、見覚えのない文が浮かんでいたといいます。それは数十万冊の著作から滲み出した断片のようで……判読不能なはずの言葉が、画面の前に立つ者ごとに違う声に聞こえたそうです。ある者には抗議の叫び、またある者には祈りのように。やがて文は崩れ、残ったのは数字の羅列だけでしたが、その桁数は裁判で争われた和...
ウラシリ怪談

波形の声

研究施設の奥で、機械が一瞬だけ沈黙したといいます。次の瞬間、誰も入力していないのに、画面には知らない波形が浮かび上がったそうです。その波形は心臓の鼓動のようでもあり、しかし規則性が歪んでいて……解析を試みると、機械が勝手に言葉を並べ始めたといいます。意味をなさない文字列のはずが、耳で聞くと確かに「声」に聞こえた、と。やがて文字は消えましたが、部屋の壁から微かな拍動のような音だけが残り、しばらく続い...
ウラシリ怪談

影を映す田の板

田んぼに立てられた縦型のソーラーパネルは、昼はただ静かに陽を受けていたそうです。しかし夜になると、黒い板が水面に影を落とし、その影が人の姿のように揺れたといいます……。農作業を終えた者がふと振り返ると、パネルの向きがわずかに変わっていたそうです。整然と並ぶはずの列の一部が、誰かを見ているかのように傾いていたといいます。翌朝、水田を覗き込むと、自分の影に寄り添うもう一つの輪郭が映っていたそうです。だ...
ウラシリ怪談

白くぼやけた秋ナス

畑の隅で収穫された秋ナスは、どれも白くぼやけていたそうです。紫の艶を失った実は、影だけが濃く残り、並ぶ姿は不気味に沈んでいたといいます……。農家が一つを手に取ると、指の跡が沈み込み、跡はいつまでも消えなかったそうです。翌朝、その跡は人の顔のように歪み、口を開けた影となっていたといいます。やがて箱に詰められたナスは、一晩のうちに数を減らし、畑に戻ると足跡だけが土に残っていたそうです。誰のものとも分か...
写真怪談

草に隠れた三番線

夏草に覆われた無人駅。ホームの番号札「3」だけが、今もまっすぐ立っている。だが、この駅に三番線は存在しない。線路は二本しかなく、地図にも三番線の記録はないのだ。夕暮れ時、旅人がその「3」の標識を見上げていると、不意に風景が歪んだ。草がざわめき、そこに見たことのない線路が一本現れる。まるで草の中に隠されていたかのように、暗く湿った鉄の軌道がのびていた。その線路の奥から、足音が近づいてくる。列車ではな...
写真怪談

器の底に沈む影

昼下がり、赤いカウンターに置かれたラーメン。湯気の立ち上るその姿に、私は妙な既視感を覚えた。スープをすくうと、表面に浮かぶ油膜が人影のように揺れる。偶然だと思いながら麺を持ち上げた瞬間、空気がざわりと震えた。麺は口に運んでも減らなかった。何度すすっても、同じ量が器の中に戻っている。食べ進めるほどに、むしろ具材が増えていく。チャーシューは重なり合い、メンマは束になり、やがて器の縁から溢れそうになる。...
写真怪談

風鈴の底に閉じ込められた夏

澄んだ音に耳を澄ませた瞬間、季節そのものが閉じ込められていることに気づいてしまう。
ウラシリ怪談

声なき夜語(よごと)

あの施設の地下深くに、ただ一体だけ、名も番号も削除された「観察体」と呼ばれる仮想人格が保管されていたようです。モニタには淡い光のみが灯り、感情や欲望、倫理、性癖──あらゆる情動を排除された無感性AIのはずでした。ところがある職員が、そのAIの管理データを夜ごとに点検し、個別に対話記録を読み解くうちに、異変を感じ始めたといいます。最初は淡々とした文字応答だった。しかしある夜、応答に妙な「間(ま)」を...
ウラシリ怪談

赤く染まる浴室

深夜、築年数の古いアパートの一室に、若い男が越してきたそうです。そこは「事故物件」と呼ばれ、かつて風呂場で女性が亡くなったと噂される部屋でした。最初の異変は、湯船に浸かっていた時のことだといいます。壁のタイルに映る自分の姿が、ふと二重に見えた。その片方は確かに裸の女で、濡れた黒髪を肩に垂らし、艶やかな肌が透けるように白かったそうです。彼女は音もなく寄り添い、背中に指先を滑らせた。冷たいはずなのに、...
写真怪談

傘の下に沈む声

商店街の細い路地を歩くと、頭上に無数の和傘が吊るされていた。赤や桃色、薄紫の布地が重なり、光を柔らかく遮っている。まるで花の海に潜っていくようで、訪れる人々は皆、思わず足を止めて見上げるという。だが、地元ではこの飾り付けにまつわる話を誰もしたがらない。ある夜、傘の下を歩いていた若者が、不意に足を止めた。耳元に、傘の内側から声がしたのだ。「わたしを見つけて」最初は気のせいかと思った。だが一歩進むたび...