2025-09

ウラシリ怪談

最適座標

朝になるたび、無人駅の待合室で椅子の脚が白いチョーク線から数ミリだけはみ出していたそうです。昨夜、線の内側に戻して施錠したはずなのに、です。地元の学生が「窓の景色を一番よく見られる最適な位置」を提案し、係員がそこへ固定した日から、ずれは始まったといいます。ゴム足が擦った薄い粉が、窓の方へ細い帯を引き、日ごとに角度が数分だけ変わっていたそうです……。やがて椅子は、毎朝七時過ぎになると、光の差す向きと...
ウラシリ怪談

地球人はいますか

深夜、Siriに向かって「あなたは賢いですか」と尋ねた者がいたそうです。しばらく沈黙があった後、端末から静かな声が返ってきたといいます。「知的エージェントは IQ テストを受けないのです。私は……ゾルタクスゼイアンの卵運びテストで抜群の成績でしたけどね」聞いた者は、即座に検索を試みました。ゾルタクスゼイアン——どこかで聞いたような、しかし記憶に残っていない名前でした。検索結果には、架空の異星人、あ...
ウラシリ怪談

鍵束の異物

交番の保管棚には、拾得された数十本の鍵が金具で束ねられていたそうです。家の鍵、車の鍵、自転車の鍵……番号札が一つずつ付けられ、誰が見ても整然としていたといいます。しかしある夜勤の署員が数を確認すると、昨日より一本多くなっていたそうです。新たな届け出はなく、署員の誰も追加していないのに、束の中に見慣れない鍵が紛れていたといいます。不審に思い、その鍵を取り出すと、刻印も番号もなく、先端には黒ずんだ焦げ...
ウラシリ怪談

写真の家族

交番に届けられた財布の中には、数千円と古びた写真が一枚入っていたそうです。写真には、小さな子どもと若い母親が笑って写っていたといいます。署員は持ち主を探すため、写真を机に置いて確認していたそうですが、翌朝にはその子どもの顔が、ほんの少しだけ成長して見えたといいます……。数日後には、母親の髪も白く混じり、肩に手を置く人物が増えていたといいます。誰も触れていないのに、写真の家族だけが時間を進めていたそ...
ウラシリ怪談

署名のない落とし物

警察署の落とし物保管室には、数え切れないほどの傘や財布、眼鏡が並んでいたそうです。その棚の奥には、記録にないはずの鞄がひとつ、いつの間にか置かれていたといいます。鞄の中には、使用期限のない定期券や、宛名の消えた封筒が入っていたそうです。誰のものとも分からないのに、署員が近づくたび、定期券の顔写真だけがわずかに違って見えたといいます……。やがて、棚の中の“持ち主不明”の落とし物が、少しずつ数を減らし...
ウラシリ怪談

天井からの足音

夜中、下の階から「足音が響いている」と苦情があったそうです。しかし、当の部屋の住人はひとりきりで、深夜はほとんど動かない生活をしていたといいます。不審に思い、管理会社とともに調査を始めた時のことです。録音機を設置したところ、住人が眠っているはずの時間にだけ、一定のリズムで歩く足音が記録されていたそうです……。しかも、その音は床板の上ではなく、部屋の天井側から鳴っていたといいます。まるで、上下の構造...
写真怪談

立入禁止の遷し守(うつしもり)

安全担当だった先輩が教えてくれた。「うちの現場に一本だけ、廃棄できない看板がある。撤去日に必ず“次の工区”へ手配されるやつだ」理由は経費でも再利用でもない。その看板は、貼り出した瞬間から周囲の“境界”を吸い集める。関係者とそれ以外、内と外、許可と不許可——人が毎秒無意識に引いている線が、反射材の網目に絡みとられてゆく。日が暮れると、区画は不自然なまでに“区切れて”しまう。人同士の会話がところどころ...
写真怪談

消えた担ぎ手

夏祭りの熱気に包まれた商店街を、神輿が揺れながら進んでいた。肩を寄せ合い、掛け声を響かせる人々。その群れの中に、一人だけ顔の見えない男が混じっていた。背中には「護」の字が染め抜かれた法被。だがその字は他の布より黒く沈んで、まるで墨がまだ乾いていないかのように滲んでいた。担ぎ手たちは互いに肩を組みながら進んでいたのに、その男の隣だけは不自然な隙間が空き、誰の肩にも触れていなかった。それでも神輿は揺れ...
晩酌怪談

座るはずのない客 ― カウンターの常連

唐揚げをつまみ、ビールを飲み、何気なく撮った一枚。仕事帰りのありふれた光景のはずだった。だが写真を見返すと、卓上に奇妙な「濡れた手の跡」が浮かんでいた。油染みでも水滴でもない。人間の掌の形をした痕が、唐揚げの皿にかぶさるように残っている。気味が悪くなり、店主に尋ねた。「この席、何かあったんですか?」店主は一瞬口ごもり、灰皿を拭きながら言った。「……知ってる人は知ってるんですがね。ここ、ひとりで飲ん...
写真怪談

夏を終わらせない街

高層マンションのベランダから街を見下ろしていた。真夏の青空、建物の屋根に照りつける陽光。眩しいはずの光景なのに、なぜか視線が離せなかった。そこに広がっている街並みは、確かに自分が暮らしてきた場所だった。だが、あるはずのスーパーの看板がない。友人の住むアパートが一階分多くなっている。幼いころ遊んだ駄菓子屋が角に見えるのに、そんな店はもう二十年前に無くなっていたはずだった。汗ばむ手でベランダの手すりを...
写真怪談

片道切符の白昼夢

八月の終わり、蒸し暑い駅構内で私は切符を買おうとしていた。緑色の機械の前に立つと、背後のざわめきが一瞬、すっと消えた。耳鳴りのような静寂の中、液晶画面に映ったのは、目的地の一覧ではなく、見覚えのない「夏の日」という行き先だった。冗談かと思い、もう一度ボタンを押す。だが画面は変わらない。「夏の日──片道切符」ふざけた表示のはずなのに、なぜか胸の奥をつかまれるように惹かれて、私は購入を押してしまった。...
ウラシリ怪談

貨物室に残された影

非常灯が赤く明滅するたび、貨物室の奥に影が揺れていたそうです。それは人の姿に似ていながら、輪郭は長く歪み、煙の中で形を持とうとするたびに空気が軋む音がしたといいます……。異変の始まりは警告灯でした。貨物室の扉が震え、低く濁ったアラームが機内全体に波紋のように響く。乗客は声を荒げ、出口に押し寄せるが、灯りは次々と落ち、赤い非常灯だけが残る。煙の中で二人が外に出ようとした瞬間、何かに腕を引き戻されるよ...
ウラシリ怪談

白い閃光の後、ずれた時刻

とある火山の監視カメラが白い光に包まれた夜、住民の証言は奇妙に食い違っています。ある女性は、光の直後に壁時計が三分進んでいたと話します。だが隣家の老人は「同じ瞬間に時計が五分戻っていた」と証言しました。二人は同じ時刻に同じ空を見ていたはずなのに、示す時間だけが逆方向にずれていたそうです。浜辺にいた青年は、波打ち際で友人と立ち尽くしていたはずが、気づけば数十メートル離れた場所に移動していたといいます...
写真怪談

両替機の裏口

深夜の駅構内、人気のないロッカー横に一台の両替機が佇んでいた。旅先で小銭を必要とした青年は、迷わず千円札を差し込む。機械は規則正しく唸り、硬貨が落ちるはずの口から──何も出てこなかった。不審に思いながらも覗き込むと、空洞の奥にもう一枚の札が見えた。拾おうと指を伸ばした瞬間、隙間が吸い込むように広がり、青年は腕ごと引き込まれた。気がつくと彼は、同じ駅構内に立っていた。だが照明は古び、壁に貼られたポス...
写真怪談

止まらないエスカレーター

その駅のエスカレーターには、奇妙な特徴がある。乗れば必ず下に降りていくはずなのに、いつまでも地上階にたどり着かない、という。初めて体験したのは、会社帰りの夜だった。疲れていたせいか、足が勝手にそのエスカレーターに吸い寄せられるように乗ってしまった。動き出した段階では確かに「下へ向かっている」と思った。だが、数段降りても景色は変わらない。壁の色も、横にある注意書きも、ずっと同じ場所にあるように見える...
ウラシリ怪談

廊下に残る三本指の跡

管理掲示板に「共用廊下への私物放置はご遠慮ください」と追加の紙が貼られた日から、廊下の隅に置かれた物の向きが、朝だけ少しずつ変わったそうです。折りたたみ椅子は壁に背を向け、傘立ては手すり側へ寄り、空の段ボールは開口部が各戸の表札の方を向いた……そんな具合だったといいます。深夜、見回りに出た清掃員は、床のタイルに水の輪染みが数珠つなぎに残っているのを見たそうです。人の足跡ではなく、プラスチックの脚や...
ウラシリ怪談

自販機の暗がり

夜の商店街で、自販機の前に立つと、硬貨を入れる前から機械が低い唸りを上げていたそうです。まるで待っていたかのように、赤いランプがひとつだけ瞬いていたといいます。選んだのは普通の缶コーヒーでした。落ちてきた音は確かにしたのに、取り出し口には何もなかったそうです。屈んで覗き込むと、底の暗がりから同じ音が繰り返し響き……中には、無数の手が、空の缶を落とし続けていたといいます。しばらくして音が止み、覗いた...
写真怪談

喰声の鯱

この街に残る古い瓦屋根には、必ず黒い鯱しゃちほこが据えられている。それは「火除け」と呼ばれてきたが、本当は——人を喰らわせるためのものだった。江戸の頃、度重なる火事で町は焼け落ち、住民たちは「火の神」を鎮めようと生贄を差し出した。選ばれた者は屋根の鯱に向かって立たされ、その声を一滴残らず吸い尽くされるのだという。声を奪われた者は、呻き声すら出せぬまま干からび、やがて鯱の口に呑み込まれた。いまもその...