その駅のエスカレーターには、奇妙な特徴がある。
乗れば必ず下に降りていくはずなのに、いつまでも地上階にたどり着かない、という。
初めて体験したのは、会社帰りの夜だった。
疲れていたせいか、足が勝手にそのエスカレーターに吸い寄せられるように乗ってしまった。
動き出した段階では確かに「下へ向かっている」と思った。だが、数段降りても景色は変わらない。壁の色も、横にある注意書きも、ずっと同じ場所にあるように見えるのだ。
何度か手すりから降りようと身を傾けても、足元は止まることなく階段を滑り続ける。
体は確かに動いているのに、空間の方が変化を拒んでいるようだった。
恐怖というより、ただ時間の感覚がなくなる不思議さに包まれていた。
どれほど経ったのか分からない。ふと気づくと、自分は改札口の前に立っていた。
後から思えば、「降りた」という記憶は一切ない。
ただ、いつの間にか移動が終わっていたのだ。
以来、その駅を使うたびに、あのエスカレーターの前で立ち止まってしまう。
次に乗ったら、今度は戻ってこれないのではないか――そんな予感に縛られながら。
ある時、気になって駅員に「あのエスカレーター、どこまで続いているんですか」と尋ねた。
駅員は一瞬黙り込み、困ったように笑った。
そして小声でこう言った。
「……あれ、もう十年前に止められた設備なんです。動いているはずはないんですけどね」
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。
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