深夜、築年数の古いアパートの一室に、若い男が越してきたそうです。
そこは「事故物件」と呼ばれ、かつて風呂場で女性が亡くなったと噂される部屋でした。
最初の異変は、湯船に浸かっていた時のことだといいます。
壁のタイルに映る自分の姿が、ふと二重に見えた。
その片方は確かに裸の女で、濡れた黒髪を肩に垂らし、艶やかな肌が透けるように白かったそうです。
彼女は音もなく寄り添い、背中に指先を滑らせた。冷たいはずなのに、その感触だけは妙に甘く、熱を帯びていた。
声を出そうとしたが、口を塞がれるように囁きが降りてきた──「ひとりは、寂しいでしょう?」
その夜以来、彼は決まって湯気の中で女を感じるようになったといいます。
湯面に浮かぶ黒髪、曇った鏡に唇だけが赤く残る影……抱き寄せるとたしかに柔らかく、しかし次の瞬間には水滴の冷たさに変わっていた。
やがて異変は浴室の外へも及びました。
夜更け、布団に入ると必ず微かな重みが腰のあたりに沈む。
眠りに落ちる直前、首筋に濡れた吐息が触れ、指が胸元をなぞる。振り払っても、部屋の隅には女の長い髪だけが落ちていたそうです。
友人が遊びに来た時、誰もいないはずの押し入れが内側から微かに震えたこともあったといいます。
襖を開けると、畳の上に浴衣が一枚、乱れて放られていた。誰の物でもないのに、襟には汗のような湿りが染みていたのです。
最期に彼が見たものは──夜明け前、眠りから覚めた瞬間の光景でした。
部屋の中央に、女が浴衣をはだけ、濡れた髪を垂らして佇んでいた。
顔だけは黒い影に覆われて見えない。
ただ、肌に散る無数の水滴が畳に落ちるたび、じわりと赤い色が広がっていったそうです。
彼はその部屋をすぐに退去しました。
けれど、引っ越し先の浴室でも、夜になると鏡にうっすらと女の唇が浮かぶことがある……そんな噂が残っているそうです。
この怪談は、以下のニュース記事をきっかけに生成されたフィクションです。
アングル:日本の「事故物件」、海外投資家も注目 不動産高騰で割安感(Reuters 日本語版、2025年6月30日)
アングル:日本の「事故物件」、海外投資家も注目 不動産高騰で割安感千葉県の閑静な住宅街にある一軒家。そこには陰鬱な過去があった。7年前、住人の高齢女性が浴室で首をつった。昨年、その息子が孤独死し、遺体は約10日間発見されなかった。