父が亡くなったあと、庭の片づけで実家へ戻ったときのことだ。花の時季を過ぎた桜はもう葉ばかりで、その隙間から、錆びた赤い支柱の先に古いアンテナが見えていた。地デジになってから一度も使っていないはずなのに、父はあれだけは絶対に撤去させなかった。「葉桜の頃だけ、まだ役目がある」と、変なことを言っていたのを覚えている。
夕方、脚立に乗って枝を払っていると、いつの間にかアンテナに雀が集まっていた。七羽いたと思う。丸い体をふくらませて、横棒に等間隔で並んでいるのに、一羽も鳴かなかった。葉先は風に揺れているのに、雀だけが釘で留めたように動かない。気味が悪くて見上げていると、いちばん下の短い棒が、何も乗っていない場所だけわずかに沈んだ。見えないもう一羽が止まったみたいに。
その夜、仏間の押し入れから古いテレビを出した。もちろん電源は入れていない。ただ、屏風をどかした拍子に画面へ目をやったとき、黒いはずのブラウン管に、うっすら空が映っていた。庭から見上げたのと同じ、薄く濁った夕空と、桜の枝と、あのアンテナだった。画面の中の雀は八羽いた。現実より一羽多い。しかも、その八羽目だけが横棒に止まらず、支柱の脇に縦についていた。鳥ではなく、爪だけで金属を掴んでいるような姿勢だった。
翌日の夕方、庭へ出ると、本当に八羽になっていた。昨夜画面で見た並びと寸分違わず同じ位置に、同じ向きで止まっている。鳴き声はない。代わりに、家の中の音が順番に消えていった。台所の冷蔵庫の唸りが止み、柱時計の秒針が聞こえなくなり、最後には自分の咳払いだけが、少し遅れて耳へ届くようになった。静かになった家の中で、アンテナの先からだけ、かすかな金属音がした。昔のチャンネルを回すときのような、乾いた、細い音だった。
父の机を探ると、庭木の手入れのメモに一行だけ、妙な書き足しがあった。
「葉桜のアンテナは、帰れないものを先に数える」
父の字だった。続きはなかったが、その晩、私は二階の雨戸を全部閉めた。見上げなければ済むと思ったのだ。けれど夜半、閉め切った仏間から、こと、こと、と軽い音が続いた。雨でも木の実でもない。小さな爪が、内側から窓を確かめるみたいな音だった。
明け方まで待って雨戸を開けると、アンテナから雀は一羽もいなくなっていた。糞も羽根も落ちていない。何も残っていないように見えた。ただ、仏間の窓ガラスの内側にだけ、小さな擦り傷が九つ並んでいた。三つ爪の跡が、アンテナの横棒と同じ間隔で、きれいに外へ向いていた。外から入ってきた傷ではない。中にいた何かが、庭のほうを見上げていた跡だった。
それ以来、葉桜の頃になると、どこに住んでいても夕方だけ家の音が薄くなる。換気扇、冷蔵庫、時計、遠くの車の音まで、一つずつ順番に遠のいていく。そして窓に空が映るとき、上のほうに細い棒が見えることがある。数えるのはやめた。八つ目までは、まだ鳥の形をしているからだ。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

