古い調査記録を整理する仕事に就いた若い学芸補助員がいたそうです。扱っていたのは、一九五〇年代に報告だけ残され、場所の詳細が空欄のままだった大型足跡の記録でした。所在不明のまま長く棚に眠っていたそれが、近年になって、現地での聞き取りから再発見されたと知らされます。送られてきた新しい報告書には、七メートル×五メートルの区画に三十一個の足跡、うち五頭ぶんは肉食、二頭ぶんは草食と推定――とだけ、静かに並んでいたそうです。
補助員は、その三十一個を一つずつ画像台帳に打ち込んでいたといいます。昼に開いた写真は乾いた石の色をしているのに、夜、閉館後に同じフォルダを開くと、縁だけが少し黒く湿って見えることがあったそうです。最初は画面の見え方だと思われました。けれど、区画の右端、番号の振られていない空白の縁にだけ、翌朝になると細い泥の半月が足されていることがありました。数は三十一のまま変わらないのに、向きだけが、いつも区画の外を指していたそうです。
そのうち、倉庫に保管された石こう型に異変が出ました。最大七十一センチと記された型だけ、乾燥棚のいちばん奥に置いても、朝には必ず通路側へ少し傾いていたそうです。床には何も落ちていないのに、その型の前だけ、拭き取ったはずの土が幅五十七センチほどの弧を描いて残る。誰かが型を動かした記録はなく、防犯映像にも人影はありませんでした。ただ、映像のその時間帯だけ、棚番号の札が順に一枚ずつ暗くなり、最後に「所在」と書かれた引き出しの前で止まっていたといいます。
補助員は、問題の引き出しを開けたそうです。中には一九五〇年代の褪せた原稿と、近年の報告書の控え、それだけのはずでした。ですが、空欄だった所在地の欄に、見覚えのない鉛筆の字が増えていたそうです。地名ではありませんでした。
「きいたとおり、戻る」
そう書かれていたといいます。紙の端には、乾いたはずの泥が三つに割れた爪先の形で付いていました。
気味が悪くなった補助員は、その夜のうちに台帳を閉じ、石こう型すべての向きを壁側へ揃えて帰ったそうです。翌朝、倉庫の戸は施錠されたままでしたが、通路の土は入口からまっすぐ中へ続き、乾燥棚の手前で一度だけ深く沈み、その先は天井近くの白い壁に向かって消えていました。壁には何もなかったそうです。ただ、所在欄のコピーを挟んでいた透明袋の内側にだけ、新しく三十一個目の番号が浮いていたといいます。もともと最後だった番号の下に、薄く、まだ湿った字で。
それ以降、その館では足跡の画像に連番を振らないそうです。三十一で止めると、夜のうちに次の番号が書き足されるからだといいます。どこへ向かう足跡なのかは、結局、まだ所在地と同じ欄に残されたままだそうです……そんな話を聞きました
この怪談は、以下の記事をきっかけに生成されたフィクションです。
白亜紀前期の大型恐竜足跡 中央アジアの空白域埋める
白亜紀前期の大型恐竜足跡 中央アジアの空白域埋める(共同通信)|熊本日日新聞社モンゴル北部にある1億2千万年前(白亜紀前期)の地層から、大型恐竜の多数の足跡化石を発見したと、岡山理科大(岡山市)とモンゴル科学アカデミーなどの研究チームが2日発表した。チームによると、中央アジア北部で白亜紀前期に大型恐竜の存在を示す化

