到着予定

ウラシリ怪談

月面輸送を手がける企業が、委託されていた着陸計画の延期を公表した頃の話だそうです。東京の拠点では体制の見直しがあり、空いた机がいくつかまとめて片づけられました。それでも、三度目の機体に使う、二百キロまで載せられる着陸台の模型だけは、会見室の隅に残されていたといいます。

同じ階には、五機そろえる予定の周回機を想定した試験室がありました。通信、航法、表面観測――三つの表示が並ぶだけの静かな部屋だったそうです。深夜の清掃で最初に異変を見つけたのは、床の隅に落ちていた細い紙片でした。レシートほどの幅で、そこには「観測終了」「中継安定」「あと五歩」とだけ、等間隔に印字されていたといいます。いちばん下には、まだ使われていない予定欄の記号が添えられていたそうです。

紙片は一晩に一枚ずつ増えたそうです。文面は少しずつ長くなり、「左へ二メートル」「段差なし」「入口通過」と、まるで誰かに道を教えているような内容へ変わっていったといいます。不思議なのは、その道順が月面の想定地形ではなく、試験室から会見室へ向かう社内の導線とぴたり一致していたことでした。白い廊下、角の消火器、曇りガラスの扉まで、順番が狂わなかったそうです……。

その頃から、会見室の模型の脚まわりに、毎朝うすい灰色の粉が溜まるようになりました。工事の粉とも金属の削りかすとも違い、指でなぞると妙に細かく、濡らした布で拭いても黒ずんだ筋だけが残ったといいます。粉の上には、靴底とも裸足ともつかない痕が五つ。どれも模型の下から外へ向いていて、着いた跡ではなく、降りた跡に見えたそうです。

痕は、二百キロの搭載試験に使う空の台まで続いていました。何も載っていないはずなのに、その台の表示だけは朝になると必ず「200.0」を示したそうです。ゼロ点を取り直しても同じで、載せ替え前の点検票には毎回「積載物なし」と残る。それでも計器だけが、何かを受け止めた重さを譲らなかったといいます。

出荷前の最終確認の日、担当者が台の固定具を外すと、その下からまた一枚、あの細い紙片が見つかりました。いつものような短い指示の列の最後に、たった一行だけ、こうあったそうです。
「到着予定」
その下には、印字ではなく、粉でなぞったような丸い跡が五つ、静かに並んでいたといいます。

それ以降、紙片は出なくなったそうです。ただ、延期のため張り替えたはずの会見室の予定表だけは、朝になるたびに、まだ使われていない欄がわずかに汚れていたといいます。拭けば消える程度の灰でしたが、翌朝にはまた戻っている。しかも、指で触れると、ほんの少しだけ冷たかったそうです……そんな話を聞きました。

この怪談は、以下の記事をきっかけに生成されたフィクションです。

Japan’s ispace delays NASA-sponsored moon landing to 2030

reuters.com

 

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