拾球当番

写真怪談

あの幹線道路は、住宅地の境目をまっすぐ切っている。
夕方になると、道路の向こうにゴルフ練習場の支柱が黒く並び、その手前で工事車両置場の投光器がまだ点かないまま立っている。空は明るいのに、家々だけが先に輪郭を失っていく時間がある。

最初の音は、たいていその時間に来る。

コン、ではない。
ゴッ、と鈍い。
硬いものが壁の向こうにめりこんで、抜けずに止まったような音だ。
道路側の部屋でだけ聞こえる。
窓でも屋根でもない、部屋の中から鳴る。

誰かが最初に通報したときは、子どもの悪戯かと思われたらしい。だが外には何も落ちていない。石も、ボールも、傷もない。なのに二階の壁紙だけが、手のひら大の丸でへこんでいた。押しても戻らない。湿りも裂けもなく、ただきれいな円だったという。

その家では翌朝、仏壇の遺影から祖父の右目だけがなくなっていた。
破れたのではない。
黒く塗られたのでもない。
眼球の部分だけ、丸く抜けて、写真の紙の向こうの白が見えていた。
へこみの大きさと、ほとんど同じ円だったそうだ。

次は、支柱に近い順で二軒目の家だった。
また日没前、投光器が点くより少し前に、道路側の部屋の奥でゴッ、と鳴った。
翌朝、食器棚の中の皿が一枚、中央だけきれいに消えていた。
縁は残っているのに、真ん中だけが丸く抜けている。
穴ではなく、空白だった。
皿を持ち上げると、その向こうが見えた。切断面も粉もなく、最初からそういう形で焼かれたみたいに滑らかだったという。

三軒目では、娘のランドセルの鋲が一つなくなった。
四軒目では、家族写真の母親の口元だけが丸く消えた。
五軒目では、飼い犬の首輪から鑑札が抜けた。金具は閉じたままで、円い札だけがなくなっていた。

おかしいのは、なくなるものに決まりがないのに、形だけは同じことだった。
みんな丸い。
硬貨、目、ボタン、照明のスイッチ中央、吸い殻の焼け跡、時計の文字盤、救急箱の温度計の先端。
家の中から、一つずつ。
しかも必ず、道路側の部屋で音がした晩のあとに失われる。

気味悪がった近所の人たちが、幹線道路から支柱を数えた。
左から順に一本、二本、三本。
その番号と、被害に遭った家の順番がぴたりと合っていた。

あそこは夜になると集球車がボールを拾うだろう、と誰かが言った。
じゃあ点灯前に鳴るあの音は何なんだ、と別の誰かが返した。
ボールを打つ音ではない。
拾う前に、何か別のものを集めている音ではないかと。

私の家は、七本目に近かった。

その日、帰宅したとき、投光器はまだ消えていた。
夕焼けは薄く、支柱は数えるたび一本多いようにも少ないようにも見えた。
道路側の六畳間には、古い整理箱や使わなくなった家電を押し込んである。私はその襖を開けて、すぐに閉めた。
部屋の空気が妙に乾いていた。
冬の暖房とも違う、喉の裏だけをざらつかせる乾きだった。
埃っぽいわけではない。むしろ匂いはなく、湿気だけが丸ごと抜かれたみたいだった。

そして、壁の奥で鳴った。
ゴッ。

真正面の壁紙が、内側へ吸われるようにへこんだ。
拳より少し大きい、正確すぎる円だった。
私は思わず下がったが、床に転がっていた延長コードの束の中から、金属が触れ合う音がした。
見ると、丸いタップの差込口カバーが一つなくなっている。
ちぎれた様子もない。
そこだけ、最初から穴として作られていたように暗かった。

怖くなって部屋の物を見回したとき、妙なことに気づいた。
整理箱の上に積んでいたアルバム、その表紙から金の留め具が一つ消えていた。
近くのラジカセはボリュームつまみだけがない。
壁にかけっぱなしの古い時計は、短針の根元の丸い軸受けが消えて、針が真下に垂れている。

一つじゃなかった。
音がしたあと、その部屋の中から丸いものがいくつもなくなっていた。

私はその夜、六畳間の物を全部廊下へ出した。
丸いものを避ければいいと思った。
キャスター付きの箱も、缶も、ボタンのある服も、電池も、全部。
畳の上には四角い収納ケースだけを残した。
それでも次の日の夕方、またゴッ、と鳴った。

今度は部屋の中ではなく、廊下からだった。

飛び出して見ると、廊下の先に置いていた母の買い物袋が倒れていた。
中のミカンが一つだけ消えていた。
袋の底に丸い濡れ跡だけが残り、皮の匂いだけが強く漂っていた。
その夜、母は急に右目が痛いと言い出した。
眼科に連れて行くと、医師は首をかしげた。
傷ではない、炎症でもない、ただ「黒目の輪郭が少し削れている」と言った。
そんな削れ方は見たことがない、と。

その日から、私は夕方になると幹線道路へ出るようになった。
家の中にいるより、外から見ていたほうがましな気がしたからだ。

七本目の支柱の前に立つと、住宅街の並びがちょうど見える。
投光器はまだ点かない。
けれど道路側の窓だけが、どの家もわずかに白く曇って見えた。
反射ではなかった。
内側から、ガラスの裏で、何か粉っぽいものが息をしているような濁り方だった。

やがて、一軒目の窓の向こうで何かが跳ねた。
音は遅れて届いた。
ゴッ。

次の家。
ゴッ。

また次。
支柱の順番どおりに、家の中で見えない何かが壁へめりこんでいく。
打ち込まれているのではなく、回収されている音だと、その時はっきり分かった。
部屋のどこかから、丸い部分だけが引き抜かれ、壁の中へ吸われている。
それが支柱を伝って、暗い上へ送られているように見えた。

七軒目、つまり私の家の番で、二階の窓の曇りが急に濃くなった。

ガラスの内側に、無数の小さな白い円が押しつけられていた。
最初は結露かと思った。
違った。
全部、えくぼのような浅い凹みが規則正しく並んでいる。
ゴルフボールの表面だった。

窓いっぱいに、ボールの肌が押しつけられていた。
一個や二個ではない。
見えるだけで何十個もある。
そのどれもが、家の中から窓の外を見ているみたいに、静かに動かない。

その中に、一つだけ、模様の違う球があった。
白くない。
皮膚色だった。
えくぼみたいな凹みではなく、毛穴だった。
私は目を凝らして、息を止めた。

それは母の右目だった。

眼球だけが、丸ごと、ボールみたいに窓へ押しつけられていた。
白目も黒目もあるのに、涙も血もなく、表面だけが妙に乾いて艶を失っている。
こちらを見ていた。
助けを求めるでもなく、ただ次に自分がどこへ打たれるのか待っている目だった。

私は家へ走った。
玄関を開けると、母は台所で夕飯の支度をしていた。
振り向いた顔はいつも通りだった。
右目もある。
赤くも腫れてもいない。
なのに、視線だけが合わなかった。
黒目の中心が微妙にずれていて、私ではなく、私の肩の後ろにある丸いものばかり追っていた。

「さっき、外から見た」
そう言うと、母は包丁を置いた。
そして静かに、でも少しだけ嬉しそうに言った。

「見つかったなら、今夜はうちの当番じゃないね」

意味が分からなかった。
問い返す前に、二階でゴッ、と鳴った。

私たちは駆け上がった。
六畳間の壁のへこみは、もう円ではなかった。
人の頭がちょうど収まるくらいの大きさに広がっていた。
縁だけがきれいで、内側は真っ黒だった。
穴ではない。
向こうが見えないのに、吸い込まれる気配だけがある。

その黒の奥から、乾いた音が転がってきた。
カラ、カラ、カラ。
白いボールが一つ、畳へ出てきた。
次にもう一つ。
三つ目で止まった。

拾い上げた瞬間、私は落とした。
どれも表面に細かいえくぼがある。
そのえくぼの並びが、人の歯型だった。
何十人ぶんもの歯並びが、ぎっしりと、球の全面に押されている。
泣きながら噛んだもの、笑いながら噛んだもの、奥歯の欠けたもの、乳歯の細いもの。
全部、人間の口の痕だった。

母が一つを見て、顔色を変えた。
「これ、お父さんの」
そう言った。
父は十年前、失踪している。

私はその夜、初めて支柱の役目を理解した。
あれはネットを支える柱じゃない。
拾ったものを、上へ吊るすための数なんだ。

翌朝、七本目の支柱の先に、白いものが増えていたと近所で噂になった。
肉眼ではよく見えない。
でも、双眼鏡で見た人はみんな黙る。
丸い球がいくつも、見えない糸で縦に連なっている。
風がないのに、ゆっくり揺れている。
一番下の球には、まぶたがあるらしい。

それから順番は少しずつずれた。
もう家の並びどおりじゃない。
道路側の部屋を潰した家、窓を板で塞いだ家、引っ越した家の番は飛ばされるようになった。
代わりに、幹線道路を毎日同じ時刻に通る人へ移った。

私はまだ家に帰っている。
だが夕方、あの道を歩くたび、自分の体の中の丸い部分を意識するようになった。
眼球。関節。歯。耳の穴。喉の奥。
どれも、打ちやすそうな形をしている。

つい昨日、道路脇のガードレールに寄りかかったとき、背中の内側で聞いた。
壁越しではない。
もっと近い。
骨に響く位置で。

ゴッ。

今のところ、なくなったものは見つかっていない。
ただ、舌で前歯をなぞると、一本だけ、丸くなっている気がする。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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