目地が増える

写真怪談

その蓋は、路面に「置かれている」のではなく、「縫い付けられている」ように見えた。

黒と灰のブロックが交互に並ぶ舗道。その継ぎ目だけが、やけに濃い緑で埋まっている。雨のあとでもないのに瑞々しく、毛足の長い苔が目地から盛り上がり、円形の小さな蓋の縁まで、きっちりなぞっていた。縁の周りだけ、妙に丁寧だ。まるで糸でかがったみたいに。

市役所の下請けで水道メーターの点検をしている男が、苦情の出た区画に来たのは、昼前だった。「最近、あの辺で躓く人が増えた。蓋が浮いてるんじゃないか」──そんな内容だ。

実際、蓋は浮いていなかった。段差もほとんどない。なのに、立って見下ろすと、視界が一瞬だけ歪む。円の上に、円が重なっていくような錯覚。蓋の表面には同心円状の溝が刻まれていて、迷路みたいに中心へ吸い込まれる。左の縁際に、擦れた文字のような跡がある。判読できないのに、「誰かがここを引っかいた」感触だけが、目に刺さった。

男は、作業手順どおりに蓋を軽く押し、工具で縁をなぞった。音は鈍い。空洞の響きがない。まるで下が詰まっている。あるいは、ふさがっているのではなく、すでに埋め直されているような──。

帰り際、目地の苔の中に、枯れた草が絡まっているのが見えた。風で飛んできたにしては、妙に整っている。数本が同じ方向を向いて、円い蓋へ伸びていた。矢印みたいに。

その夜、男は会社の端末で報告書を作りながら、点検写真を添付した。苔の緑が鮮やかで、蓋の灰色がやけに冷たい。添付して、送信して、画面を閉じた。

閉じたはずの画面が、勝手に開いた。

写真が、ほんの少しだけ違っていた。苔が増えている。目地の緑が一段濃く、太くなって、蓋の縁をより強く抱きしめている。そんな加工はしていない。画像の更新日も、ついさっきのままだ。

気のせいだと思い、男はページを閉じた。すると、今度は印刷機の方から、紙が吐き出された。

白紙ではない。路面の写真が印刷されていた。だが、画面の写真よりもさらに苔が増えている。苔の盛り上がりが、目地の線を越え、ブロックの面にまで薄く広がっている。湿った匂いが、室内に立ちこめた。

男は紙を握り潰した。指先が、ぬるりと滑った。紙が濡れている。なのに、手のひらには水滴が残らない。苔だけが、肌に貼りつくように残った。

翌朝、現場へ戻った。

舗道は、昨日と同じ並びだった。ただ、蓋の表面の溝が増えている。迷路の輪が一つ、外側に生えていた。中心へ向かう道筋が、少しだけ遠くなっている。左縁の擦れ跡も濃い。文字ではない。爪が食い込んだような、浅い線が何本も重なっている。

男が屈み、指でその線をなぞった瞬間、音がした。

蓋の下からではない。男の足元、苔の目地の中から、細い呼吸のような音がいくつも漏れてくる。目地の緑が、ぶくりと膨らんだ。柔らかい。生きている。

反射的に立ち上がろうとして、男は躓いた。段差なんてなかったはずなのに、足首が何かに絡め取られる。枯れた草の束が、今度は矢印ではなく、輪になっていた。足首に巻きつき、締めつけてくる。苔の目地が、糸みたいに伸びた。

男の靴底が、蓋の中心に滑り込んだ。

「踏んだ」感触が消えた。

路面が、急に遠い。視界が上下に反転し、円い蓋の迷路が、巨大な天井になって迫ってくる。溝の一本一本が溝ではなく、道だった。苔の目地が、縫い目ではなく、継ぎ目だった。そこから、ひとつずつ、指が出ている。土色の指。苔を纏った指。爪の欠けた指。

指は、何かを探すように蠢いていた。男の足首を探しているのではない。名札を、胸ポケットを、社員証のバーコードを。紙の匂いを。記録を。

男は叫んだ。声は、苔に吸われて音にならなかった。

翌週、会社の机の引き出しから、点検写真の印刷物が見つかった。握り潰され、乾いて、緑の粉がこびりついている。裏面には、誰かが鉛筆で同心円を描いていた。円の数だけ、細い線が外へ伸び、端で途切れている。

そして、その紙の角には、湿った指紋が残っていた。

指紋は、人間のものよりも細かく、苔の目地みたいに、いくつもの線が分岐していた。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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