ある冬、駅前の小さな神社の札が、近所の集合住宅で静かに流行ったそうです。管理人が掲示板に貼った一枚の案内には、木札の写真と「立春大吉」と四文字だけが大きく載っていました。下のほうに、授与期間は1月20日から2月19日まで、初穂料は千円、福豆付きは千五百円……そう細かく書かれていたといいます。神社の窓口で受け取れる、ただの季節の縁起物の案内でした。
札を受けたのは、そこへ越してきたばかりの人でした。部屋は三階の端。夜勤も多く、厄除けだの縁起だのは気にしない性分だったそうですが、掲示板の紙が妙に新しく、印字の黒が濃すぎた、と話していました。どこか“貼られている”というより“貼りついている”感じがして、視線が離れなかったそうです。
神社の授与所では、木札が束で積まれていました。受付の人は、立春とは春の始まりの日で、その日から玄関に掲げるのだと説明したそうです。さらに、立春の日に「立春大吉」と書いた紙を玄関に貼る風習があること、四文字は左右対称で、縦に書けば裏から見ても同じに読めること、だから悪いものが入ってきても振り返った瞬間に「まだ外だ」と勘違いして出ていく――そういう言い伝えがあるのだ、と。豆の小袋も一緒に渡されました。乾いた音がして、袋の内側に粉が少し付いていたそうです。
2月4日の朝、その人は札を玄関の内側に掛けました。外に向けて掲げるのが正しい、と聞いたのに、なぜか内側に掛けたそうです。金具が合わなかったのではありません。ドアを閉めた瞬間、外側へ向けて掛け直す気が、ふっと消えたのだといいます。まるで、最初からそうする決まりだったように。
その夜から、廊下で小さな足音が途切れず続きました。走るでもなく、迷うでもなく、一定の間隔で、同じ場所を往復するような音だったそうです。足音は三階だけで、階段室の下にも上にも降りません。管理人が確認しても誰もいない。監視カメラにも誰も映らない。ただ、三階の端の廊下だけが、なぜか少し暗く写っていたといいます。
翌朝、福豆の袋が玄関のたたきで破れていました。豆は散らばらず、二列にきれいに並んでいたそうです。玄関の中心線に沿って、内と外を分ける境目のように。豆の丸い腹が揃いすぎていて、置いたというより“並んだ”と感じられた、と。
札を外して確認すると、確かに裏側から見ても同じ四文字に見えました。受付の説明どおりです。ところが、その札を外した瞬間、ドアの木目の奥から同じ文字が薄く浮いたそうです。墨でも傷でもなく、角度を変えても消えない。札を掛けていた場所より少し低い位置に、まるで“裏面”が移ったように残ったといいます。
それから足音は、廊下から玄関の内側へ近づくようになりました。ドアスコープを覗くと廊下が映るはずなのに、部屋の中が映ったそうです。覗いている本人の背中が見え、背中の向こうに、玄関のドアが見える。そこに「立春大吉」の文字が、表からも裏からも読める形で、薄く残っていたといいます。覗くたびに、背中の動きだけが少し遅れてついてくるように見えた、という証言もありました。
2月19日を過ぎた頃、廊下の足音は止みました。代わりに、玄関の外側から紙が擦れるような音がするようになったそうです。ドアを開けると、誰もいないのに、外側のドア面に一枚の紙が貼られていました。掲示板にあった案内と同じ書体で、「立春大吉」とだけ印字されていたといいます。剥がしても、翌朝にはまた貼られている。粘着の跡がないのに、紙だけがそこに“乗っている”。
その人は、印字を隠すため別の紙を貼りました。けれど翌朝、隠した紙の裏側に同じ四文字が透けて出ていたそうです。透け方が、裏から見ても同じに読める、あの札の“都合の良さ”に似ていました。
玄関は、内と外の境目であるはずです。ところが、その四文字は境目を曖昧にするために、あまりに出来すぎていました。悪いものを迷わせるための左右対称が、いちばん迷ってはいけないもの――家そのものを、裏返してしまったのかもしれません。
今もその部屋の玄関は、外から入って来られない代わりに、内側からも出られないのだろう、と噂する人がいるそうです。振り返っても、いつまでも“まだ外”に見えるから……そんな話を聞きました。
この怪談は、以下の記事をきっかけに生成されたフィクションです。
令和八年 立春大吉札 頒布(1月20日〜2月19日) – 七社神社
令和八年 立春大吉札 頒布(1月20日〜2月19日)「立春大吉」の木札を二十四節気の大寒から雨水までお頒ちします 令和8年は1月20日から2月19日までの頒布となります 「立春」は春の始まり。 今年は2月4日が立春です。 古くから、立春の日に『立春大吉』と書いた紙を玄関に貼る風習があります。


