雪がほどけきらない昼の駅前は、音が平たくなる。車の走行音も、人の足音も、遠近の差が薄れて、どれも同じ厚みで耳に入る。
駅前の交差点を渡るとき、私はいつも、遊歩道の奥に立つ尖ったオブジェを視界の端に入れていた。細い三角錐みたいな形で、表面に緑の模様が走っている。何のイベント用だったのかは思い出せないが、冬の街に置かれる飾りとしては、妙に“骨っぽい”印象だった。
その緑は、普段はただの模様に見える。ところが、信号の音が鳴る瞬間だけ、わずかに明るくなることがある。発光と言うほどでもなく、薄い絵の具が水に滲むみたいに、緑がふっと濃くなる。
それに気づいたのは、ある日、信号待ちの列にひとりだけ動かない背中がいたからだ。
黒いコート。白黒のマフラー。小さめの鞄を右に提げて、肩をすこしすぼめている。若い女性だと分かるのは、首筋の線が、雪明かりの中でもやけに澄んで見えたからだった。
音響式の信号が鳴る。いつもの機械的なリズム。……のはずなのに、そのリズムの合間に、乾いた小さな音が混じった。
カッ。
シャッターの音に似ている。でも、周囲にカメラを構えた人はいない。自分の靴底が氷を噛んだのかと思ったが、足はまだ動いていなかった。
その「カッ」と同時に、視界の端で緑が滲んだ。尖ったオブジェの模様が、ほんの一拍だけ濃くなる。街全体の色が白く飛ぶ中で、緑だけが“現像された”みたいに残る。
青が点く。列が動き出す。彼女も一歩を出した。
そのとき、私はまた「カッ」を聞いた。
そして、不思議なことが起きた。
彼女は確かに歩き出したのに、信号待ちの位置に、彼女の背中が一瞬だけ残ったのだ。置き去りの影というより、前のコマが遅れて表示されるみたいに、黒い背中がその場に“残像”として立っていた。
ほんの一瞬だ。瞬きより短い。だから錯覚だと思える程度の、しかし見てしまった以上は無視できない程度の確かさ。
残像は、音が途切れたと同時に消えた。列は普通に進む。彼女も人混みに紛れて、何事もなかったように渡っていく。
私はその日、帰り道も同じ音を聞いた。信号のリズムの隙間に「カッ」。そのたびに、緑がふっと滲む。目の錯覚では片づけにくいのは、滲むタイミングが“必ず音と同時”だったからだ。
それから数日、私は無意識に彼女の背中を探した。いつもいるわけではない。いる日も、いない日もある。けれど、いる日には決まって、同じ白黒のマフラーで、同じように信号待ちの列の少し後ろに立っていた。
私は一度だけ、彼女の正面に回り込んで顔を確かめようとした。追い越して斜め前に出ようとする。だが、そのたびに、人の流れが微妙に詰まったりほどけたりして、どうしても“正面”に立てない。誰も私を妨げていないのに、交差点が勝手に配置を調整しているみたいだった。
その日は青の時間がやけに短く感じた。点滅が始まり、人々が急ぐ。私は焦って振り返り、彼女の背中を見た。
背中の中心が、薄く白んでいた。
黒い生地が白くなるのではない。光が当たった白さでもない。白い紙を一枚、背中の内側に貼ったみたいに、色がそこだけ“抜けている”。そして、その白みの縁に、緑が極細く滲んでいた。
カッ。
尖ったオブジェの緑が滲む。
カッ。
彼女の背中の白みが、ほんのわずか広がる。
私は、理解するより先に身体が分かった。あれは「怪我」でも「汚れ」でもない。色が抜けていくのは、布じゃなくて、背中という“情報”そのものだ。街が、背中から順に、彼女を薄くしている。
私は目を逸らした。見続けたら、確定してしまう気がした。見た者が、現像を手伝ってしまう。
その夜、偶然SNSで同じ交差点の写真を見つけた。冬の街の風景写真。前景に、黒いコートと白黒のマフラーの後ろ姿。奥に尖ったオブジェ。私が見た構図そのままだった。
私は、胸の奥がゆるむのを感じた。写真の中の背中は普通に黒い。白みもない。緑の滲みもない。よかった、私が勝手に怖がっていただけだ——そう思いかけて、指が止まった。
その背中の輪郭が、妙に“きれいすぎる”。
周囲の人は少しブレているのに、その背中だけが、輪郭だけはっきりしている。しかも、マフラーの白黒の間に、薄い緑の筋が一本だけ挟まっていた。写真のノイズかと思って拡大したが、筋は繊維の向きに沿っていて、模様のように見えた。
保存した。
消えたら、何も起きていないことにされる気がしたからだ。
翌朝、保存した写真を開くと、緑の筋は無かった。代わりに、背中の中心に小さな白い点がひとつ増えていた。埃みたいな白点だが、拭いても取れない。画面の汚れでもない。写真の中にだけある。
三日目、白点は増えた。点が線になり、線が薄い面になる。背中の中心から、ゆっくりと。
私はそのとき初めて、あの「カッ」が“シャッター”ではなく、“切り取り”の音なのだと理解した。街が、信号のリズムの隙間で、背中を一枚ずつ切り取っている。顔ではない。手でもない。前から見えるものじゃない。後ろにしかないものから奪うほうが、誰にも気づかれにくいから。
私は駅前を避けるようになった。遠回りして、別の横断歩道を渡る。音響信号の音が届かない道を選ぶ。尖ったオブジェが視界に入らない道を歩く。
それでも、雪の日は街が似すぎる。白い空と白い路面に、ビルのグレーが混じるだけで、どの角も同じに見える。
ある夕方、気づくと私は、例の交差点の手前に立っていた。どうやって来たか分からない。直前の記憶が薄い。頭の中だけが、雪で擦れたみたいに白い。
信号待ちの列の先に、黒い背中があった。白黒のマフラー。右の鞄。
青が点く。
カッ。
尖ったオブジェの緑が、ぼんやり滲む。
列が動く。
カッ。
今度は、彼女の背中だけではなかった。列の中の二、三人の背中が、一瞬だけ“その場に残る”。動き出したはずの背中が、古いコマとして、交差点のこちら側に貼り付く。残像はみな同じ角度で、同じ厚みで、そして次の瞬間には消える。
私は怖くて、スマホを取り出した。撮って確かめれば、錯覚だと証明できると思った。いや、証明して安心したかった。
カメラを起動した画面には、交差点の雪景色と、尖ったオブジェと、信号待ちの列が映った。
そして画面の手前に、私の背中が映っていた。
黒いコート。白黒のマフラー。右の鞄。
私は前を向いているのに、画面の中の私は、私に背を向けている。
カッ。
オブジェの緑が滲む。
カッ。
画面の中の私の背中の中心に、白い点がひとつ生まれた。ちょうど背骨の上あたり。雪の粒が付いたみたいな白点が、じわりと滲んで、取れない。
私はスマホを落として逃げた。振り返らなかった。振り返った瞬間に、背中が“残る側”になってしまう気がしたからだ。
それ以来、私は鏡の前で服を脱ぐのが嫌になった。背中を見たくない。背中の中心に白い点がないか、確かめたくない。
けれど、夜、髪を乾かしているときだけは、どうしても背中が鏡に映る。
ある晩、ドライヤーの音の隙間に、乾いた小さな音が混じった。
カッ。
背中の皮膚が、ひやりとした。冷たい指で、背骨をなぞられたような感覚。私はドライヤーを止め、息を止め、鏡を見た。
背中の中心に、小さな白い点がひとつ。
点の縁に、極細い緑の滲みが走っていた。
冬の街は、音が平たい。
そして信号のリズムの隙間には、今日もきっと、あの音が挟まっている。
カッ。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。


