繁華街の裏手、ひっそりとした通り沿いに建つ三階建てのビル。
その外観は無機質で、1階の全面ガラス窓からは事務所のような内部がうかがえた。
夜は灯りも落とされ、冷たい反射だけが歩道をなめていたが──
この窓が「おかしい」と気づいたのは、地元の大学に通う写真学生だった。
彼はある課題のため、建物の夜景を撮り歩いていた。
通りかかったそのビルの前でふと立ち止まり、三脚を立てる。
だが、シャッターを切った直後、
液晶に映し出された写真に奇妙な違和感を覚えた。
──窓の奥に、水があった。
事務所の中に湛えられた水ではない。
“そのガラスそのもの”が、水面のようにたゆたっていた。
反射の歪みではない。ガラスの内側には、泡が昇っていたのだ。
異様だと思いつつも彼は、そのまま数枚を撮影した。
翌日、大学でデータを確認した彼は、思わず息を飲んだ。
撮ったはずのビルの1階部分に──
巨大な「目」が写っていた。
それは窓いっぱいを覆うほどに大きく、
表面には鱗のような組織が浮かび、まばたきもしていない。
ただ、じっとカメラのほうを見ていた。
同級生に見せると、「CGでしょ」と笑われた。
だが、彼は「窓の中にそれがあった」のを見ていない。
撮影時、そんな異物はどこにも存在していなかったのだ。
その週末、彼は再び現地を訪れた。
夜八時、辺りは人通りも少なく、ガラス窓は外灯をぼんやり映している。
スマホのカメラを向けた瞬間、画面が一瞬フリーズした。
次のフレームに映っていたのは、
窓の中に広がる海底のような風景──
砂地に朽ちた机と椅子、泡のように浮かぶ書類、
そして、その奥に佇む「人のような何か」だった。
体は細く、腕は異様に長く、足元は見えなかった。
ただ、首から下げた社員証のようなものが、
水中にふわりと揺れていたのが見えた。
その存在がこちらに気づいた“ような気がして”、彼は逃げ帰った。
だがその日から、家の窓にも異変が現れ始める。
夜になると、カーテンの隙間から「濡れた音」がする。
窓ガラスに近づくと、ふと視界の端に泡が昇るのが見える。
三日目の深夜、決定的なことが起こる。
窓の向こうに、あの“目”があった。
ただ一点、自室の中を覗き込んでいた。
彼は絶叫し、アパートを飛び出した。
そのまま消息を絶った。
後日、彼のカメラが河川敷で見つかった。
メモリーカードに残されていた最後の画像には、
件のビルの窓が写っていたが、そこには……
──彼自身が、窓の内側からこちらを見つめていた。
背後には、幾層もの机と椅子、
水中に沈んだ事務所のような空間。
そして、窓の内側に密集するように浮かぶ、
顔のない無数の“社員”たちの影。
どれも、ガラスを内側から押しつけるようにして、
その中央だけを見つめていた。
まるで、何かを迎え入れるために──
ずっと“空席”を待っていたかのように。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。