街の大通りに沿って伸びる公園を横切る交差点は、雪が深くなるほど「待つ時間」が長くなる。そう感じるのは自分だけじゃないと思う。赤信号が長い、ではなく、赤が濃くなる。人の息が白く伸びるほど、時間も引き伸ばされていく。
その夜も、帰り道の風が強かった。公園の木々は輪郭だけになり、街灯の光は雪粒にほどけて、世界がずっと遠くに見えた。交差点の脇にある箱型の設備の上に、誰かが作った手のひらサイズの雪だるまがいた。丸が二つ、胴体の方が少し歪んでいて、肩のあたりに短い枝が刺さっている。腕のつもりなのだろう。小さいのに、妙に「座っている」みたいだった。
左右にも、ちいさな雪の塊がいくつか並んでいた。どれも未完成みたいで、頭だけのもの、胴体だけのもの。ふざけて作って、途中で飽きた。そういう無邪気さの残骸。微笑ましい、と言いたかったのに、言葉が喉で固まった。
理由は簡単だった。雪だるまが、交差点の方を見ていたからだ。
雪だるまに目などない。ただ、枝の刺さり方と、胴体の面の向きが、こちらを避けて、信号の赤を正面から見据えている。まるで、赤が変わる瞬間を待ち構えているみたいに。
赤が青に変わった。人が動き出す。自分も一歩出ようとした、そのときだった。雪だるまの肩に刺さった枝が、ほんの少し、沈んだ気がした。雪に刺さった枝が、重力で落ちたのではない。握り直したみたいに、ぐっと奥へ入った。
翌日、同じ場所を通った。雪だるまは増えていた。箱の上だけじゃない。縁の雪の上にも、点々と丸い塊が並んでいる。どれも手のひらサイズなのに、数が多い。昨日の未完成の塊が、いつの間にか「二段」になっているものもあった。頭と胴体を、誰かがちゃんと重ねたのだ。
枝も増えていた。刺さっている角度が、どれも同じだった。右肩から斜め下へ、一本。腕というより、釘を打ち込んだような角度。
その日から、交差点の赤はさらに長くなった。待つ人が増える。待っているはずなのに、ふと気づくと自分の前にいた人がいない。反対側の歩道にもいない。雪の中に紛れたと言うには、消え方がきれいすぎた。
代わりに増えるのが、雪だるまだった。
三日目の夜、赤を待っている間に、ふいに足元が気になった。横断歩道の白線が、雪で薄くなっている。踏まれた跡が何重にも重なっている。その上に、ひとつだけ、妙にくっきりした足跡があった。裸足の足裏みたいに、指の形まで出ている。ありえない。氷点下の夜に。
赤が青に変わり、人の流れが動く。自分も足を出した。白線の上の足跡に、無意識で自分の靴底が重なった瞬間、足の裏が「ぬるい」と感じた。雪の中のぬるさ。湯気でも上がりそうな、生きものの温度。
思わず歩みを止めた。後ろから人がぶつかりそうになり、舌打ちが聞こえた。その音が、遠い。雪の夜に吸われていく。視界の端で、箱の上の雪だるまが、こちらを向いた気がした。
違う。向いた、ではない。向かせた。
誰かが、肩の枝を指で摘んで、雪だるまの体ごと回転させたみたいに、正面が変わっていた。昨日まで信号を見ていたはずの面が、こちらに向いている。雪の表面に、わずかな凹みが二つ。目の位置だとわかってしまう程度の、くぼみ。
息が詰まった。目を逸らすと負ける、という意味のない確信が湧いた。目を逸らさなかった。
次の瞬間、雪だるまの肩の枝が、ぎし、と鳴った。雪の中で木が鳴るはずがない。乾いた音だった。自分の耳の内側で鳴った気がした。
気づくと、青の時間が終わっていた。なぜか自分は横断歩道の真ん中に立っていて、周りに誰もいない。車もいない。音がない。雪だけが落ちてくる。
信号は赤だった。さっき青だったのに。戻ったのか。戻されたのか。
箱の上を見た。雪だるまが、ひとつ増えていた。いま増えたばかりみたいに、表面が新しい。肩に枝が一本、同じ角度で刺さっている。その枝の先に、濡れた黒いものが付いていた。泥ではない。髪の毛みたいに細い。
自分の手袋の親指に、ちいさな穴が空いているのに気づいた。針で刺したみたいな穴。そこから、じわりと温かいものが滲んでいた。血だ。いつ刺さったのかわからない。
その夜、帰宅してからも、足の裏のぬるさが消えなかった。風呂に入っても、布団に入っても、熱が「一点」に残っている。まるで、足跡が皮膚の内側に貼り付いたみたいに。
翌朝、会社で同僚に言われた。昨日、定時で上がったあと、どこにいたのかと。自分はまっすぐ帰ったと言った。だが、スマホの歩数計が、昨日だけ妙に少ない。帰宅までの距離に見合わない。位置情報も、交差点のあたりで途切れている。
昼休みに、衝動で交差点へ行った。箱の上には、手のひらサイズの雪だるまが列になっていた。数え切れない。子供の遊びの域を超えている。どれも肩に枝が一本。どれも同じ角度。どれも、こちらを見ている。
その中にひとつだけ、右肩の枝が、他より深く刺さっている個体があった。枝の刺さり口の周りが、ほんのり赤い。雪が汚れたのではない。血が滲んだみたいな色だった。
自分の手袋の穴が、そこに吸い寄せられる感じがした。見ているだけで痛い。痛みが「思い出す」ように蘇る。目を逸らせない。
赤信号が点いた。雪だるまたちの表面が、街灯の光を受けてわずかに照り、まるで濡れた肌みたいに見えた。枝の影が、足みたいに伸びる。箱の縁から垂れて、地面へ届きそうな長さで。
そのとき、横断歩道の白線の上に、またあの足跡が現れた。今度は一つじゃない。連なっている。こちらから向こうへ渡る足跡。裸足の指。踏みしめた跡。途中で、ぷつりと途切れている。
途切れた先、箱の上の雪だるまの列の一番奥に、まだ形になりきっていない雪の塊があった。頭も胴体も曖昧な、未完成。昨日までなかったはずのもの。
なのに、その塊の上に、枝が一本だけ置かれていた。刺さっていない。置かれている。針を置いて、次に刺す準備をしているみたいに。
自分は理解してしまった。ここは渡る場所じゃない。ここは、数える場所だ。赤が点くたび、足跡がつくたび、「ひとつ」がここへ上がる。小さな雪だるまという形に圧縮されて、棚に並べられる。
雪だるまは子供の遊びじゃない。街が冬に払う、目に見えない料金だ。
青になるはずの時間が来ても、信号は変わらなかった。赤のまま、赤のまま、赤のまま。通行人がざわつき始め、誰かが警察に電話しようとした。だが、その誰かの声は途中で途切れた。顔を上げたとき、箱の上の列が、ひとつ増えていた。
未完成だった塊が、二段になっていた。頭と胴体が重なり、肩に枝が刺さっている。刺さり方は、同じ角度。右肩から斜め下へ。
自分の右肩が、急に冷たくなった。氷を押し当てたような、痛い冷たさ。服の下で、皮膚がきゅっと縮む。
振り向くと、誰もいない。雪だけが落ちている。だが、箱の上の新しい雪だるまの表面に、二つの凹みがあった。目の位置だ。今度ははっきりと、こちらに向けられている。
逃げようと足を引いた。靴底が、横断歩道の白線に吸い付いた。ぬるい。ぬるさが、じわじわと上へ上がってくる。足首、脛、膝。体温じゃない。外から侵入してくる温度。
箱の上で、雪だるまたちの肩の枝が、いっせいに、ほんの少し沈んだ。握り直す動き。合図みたいに。
目を閉じたら楽だと思った。けれど、閉じた瞼の裏にも、赤信号が残った。赤い円が、雪の夜みたいに滲んで、ずっと遠くで点いている。
最後に見えたのは、手のひらサイズの雪だるまが並ぶ列の、いちばん手前だった。そこに、さっきまでなかったはずの、ちいさな穴の空いた手袋が落ちていた。自分の手袋だ。親指に、針で刺したような穴がある。
その横に、枝が一本転がっていた。先端に、濡れた黒いものをつけたまま。
そして、赤が、やっと青に変わった。
誰も渡らなかった。渡れなかった。渡るべき人が、もういなかったからだ。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。


