ある集合住宅では、大晦日の夜だけ管理室の小さな流し台を使い、残った勤務者と数人の住人が「年越しそば」を食べて年を締める習慣があったそうです。外は冷え込み、店は混み、帰宅の途中で転ぶ者もいる。ならば管理室で湯を沸かし、そばを茹で、温かい汁で流し込んでから巡回に出る――引き継ぎ帳には、そんな合理的な理由が淡々と書かれていました。
その年だけ、管理室の音声が「常時録音」に切り替わっていました。誰かが触った形跡はなく、設定変更のログも残っていないのに、十二月三十一日二十三時四十七分から、室内の音が丸ごと保存されていたようです。ファイル名は「つごもり」。日付も時刻も、そこだけ妙に几帳面でした。
録音の冒頭は、状況がはっきりしています。
電気ケトルの沸騰音、鍋に湯を足す音、そばの束を袋から出す紙の擦れ。誰かが「切れやすいから、厄を切るってやつだ」と言い、別の誰かが「細く長いから、長く続くって」と返します。器を配る音、汁を注ぐ音、箸袋を破る音。管理室の机を簡易な食卓にして、年越しそばを食べる支度をしているだけでした。
ただ、会話の合間に、ときどき妙な“空白”が挟まります。
途切れた部分だけが、最初から無かったように滑らかに繋がってしまうのです。編集した形跡はなく、波形にも不自然な切断はない。それなのに内容だけが抜け落ち、相手の返事だけが残る。録音の途中で、言葉が「言われなかったこと」になっているようでした。
二十三時五十二分。タイマーが鳴り、火が止められます。湯切りの音、盛り付けの音。ここまでは年末の作業として自然です。
最初のひと口から、音が変わりました。
「いただきます」の直後、麺をすする音が一つ入り、それに“少し遅れて”もう一つ、同じ長さのすすりが重なります。二人が同時に食べたわけではありません。笑い声は一つ、箸が器に当たる音も一つ、会話の返事も一つなのに、すすりだけが必ず二本分、追いかけるようについてくるのです。
二十三時五十五分。「噛んだほうがいい」「早食いはよくない」という会話が入ります。けれど、噛む音は録れません。代わりに、麺が“切れない”音が入ります。口の中で噛み切るはずの部分が、いつまでも擦れて伸び、器の底をなぞるように細く鳴り続ける。そばが伸びるのではなく、そばの端がどこかへ引かれていくような音でした。
二十三時五十八分。話題が年越しに移ります。
「眠らないで迎えないと縁起が悪い」
「何を迎えるんだ」
冗談めいた声が続き、器の縁に箸が当たる音や、湯気を払う衣擦れも混じっています。録音機はたまたま入口ドア脇の棚に置かれていて、金具の音だけが近かったそうです。
そのとき、入口ドアの外側からノックが一度だけ入ります。軽い音で、会話の流れも笑い声も途切れません。誰も「今の」と言わない。椅子を引く音も、顔を向ける気配もなく、そばを啜る音と、箸が器を探る音がそのまま続きます。
ノックの直後、録音には小さな金属音が二つ、はっきり残っています。
一つ目は乾いた「カチ」という音で、ちょうど笑い声に埋もれる位置にあります。二つ目は少し遅れて「コト」と戻るような音で、ばねが緩む短い響きがついています。人がその場で聞き取れるほど大きくはないのに、マイクには“近すぎる”距離で拾われていました。
不自然なのは、その間に“人の動き”が一切増えないことです。
扉が開く気配の蝶番の鳴りもありません。枠に擦れる音も、靴音も、荷物が当たる音もない。室内にいる誰かが立ち上がって確かめる気配すらなく、会話も食事も何事もなかったように流れています。録音の中だけで、鍵の状態が変わったことになっているようでした。
それでも次の数秒から、室内の音の“反響”が薄く変わります。部屋の奥ではなく、硬い廊下で跳ね返るような空気の響きが会話の隙間に混じり始めるのです。誰かが入ってきた様子はないのに、建物の外側の音が、ほんの少しだけ近くなったようにも聞こえる――そんな違和感だけが残っていました。
二十三時五十九分。カウントダウンが始まります。
テレビはつけていなかったのに、どこか遠くで群衆の声が混じり始めます。建物の外から聞こえるはずの歓声が、管理室の天井裏で反響しているように近い。誰かが「今、何秒だ」と言い、別の誰かが画面を見た声で「五十九のまま」と答えます。
録音の時刻表示も、二十三時五十九分で止まっています。秒だけが伸びます。六十、六十一、六十二。あり得ない“余りの時間”が、そこにぶら下がり続けます。
その余りの中で、そばの音だけが増えていきます。
器は空になっているはずなのに、すすりが続く。箸で器の縁を探る音が続く。汁を啜る音が続く。けれど会話は薄くなっていきます。笑いが笑いとして残らず、返事が言葉として残らず、ただ空気の振動だけが残る。録音の中で、食卓の人間だけが「生活音」にほどけていくようでした。
最後に残ったのは、麺が擦れる音でした。
伸びる、切れない、ほどけない。器の中には何もないのに、麺だけがどこかへ引かれていくように続きます。だんだん遠のくようにも、扉の金具のきしみと重なるようにも聞こえる。録音だけでは場所は断定できませんが、直後から廊下の反響が混じり、室内の気配が薄く広がっていきます。
録音はそこで終わっています。停止ボタンの音も、電池切れの音もありません。ただ、録音が「ここまでだった」と言い切るように、綺麗に途切れていました。
その録音が残された翌朝、管理室の机には器が一つだけ残っていたそうです。底には乾いて固まった汁の輪があり、その中心に黒い糸のようなものが絡んでいた。そばの切れ端にしては細すぎ、髪の毛にしては硬すぎた、とだけ記録されています。入口ドアの内鍵は外れたままなのに、廊下側の監視映像には扉が開いた瞬間が一度も映っていない――それも、同じ紙面に並んでいました。
そして奇妙なことに――その音声データは、消しても消しても残るようです。
年が改まる直前になると、建物内のどこかの端末に同じ名前の録音が保存され、再生すると、最後の二つの足音の“あと”が、前の年より少しだけ長くなっていくのだといいます。
後年、それを最後まで聴いた人がいました。音は、扉の金具がもう一度だけ鳴るところまで伸びていました。続いて、すぐ近くで「いただきます」と小さな声が入ります。録音の中の食卓と同じ声質なのに、明らかに距離が違う。マイクのすぐ前で、誰かが言ったように近いのです。
その直後、録音には“すすり”が入ります。ひと息で啜り切る長さではありません。細いものを、濡れた布のように引きずりながら、延々と吸い上げる音です。
それを最後まで聴いた翌朝、その人の部屋は内側から施錠されたまま、生活の途中の形で残っていたそうです。玄関には靴が揃い、机には昨日の日付のままの鍵束が置かれている。けれど、住人の名を示す札だけが、最初から貼られていなかったように白い。管理室の引き継ぎ帳にも、その人の担当欄だけが空欄になっていました。
そして次の大晦日、同じ録音の“二本目のすすり”に、ほんの短い咳払いが混じっていたといいます。聞き覚えがあるはずなのに、誰のものか思い出せない。思い出そうとすると、喉の奥が妙に乾く――そんな記録だけが残っているようです。
この怪談は、以下のニュース記事をきっかけに生成されたフィクションです。
日本の年中行事と食「大晦日と年越しそば」:農林水産省
日本の年中行事と食「大晦日と年越しそば」:農林水産省四季折々に行われる日本の年中行事に関連する「食」を紹介する連載企画。第4回は、1年の締めくくりの日である大晦日と、年越しそばについて紹介します。

