住宅地を走る規模の小さな路線の、その駅前は「用事」だけが残る場所だ。目立つのは緑の看板のスーパーくらいで、あとは改札を出てそれぞれの家へ散っていく。夏祭りの時だけは人が溢れるのに、普段の夜は驚くほど静かだ。
十二月二十五日。クリスマスが終わりかけた二十三時ごろ、雨上がりの石畳は濡れた鏡みたいになっていた。うっすら靄もかかっていて、駅前のイルミネーションの光が輪郭を失いながら路面に伸びる。
その町に似合わないくらい大きな飾りが立っていた。星の乗ったツリー。柵いっぱいの雪の結晶のライト。中央の透明な囲いの中には、綿雪みたいな白い飾りと、二体のトナカイ、プレゼント箱、綺麗な色のキューブ。
撤去はされていなかった。
そのこと自体は珍しくない。片づけは翌日か、週末か、年末か。商店街の飾りってそういうものだ。私はただ眺めて通り過ぎるつもりだった。
囲いの内側が一瞬だけ曇ったのは、吐息の形みたいだった。結露がふわっと広がって、すぐに引く。その瞬間、プレゼント箱の白い札に、細い字が浮かび上がった。
油性ペンの黒じゃない。水で書いたみたいに薄い、濡れた文字。
読み取れたのは名前ではなく、呼び方だった。
家の中だけで呼ばれるような、親しい呼び名。
それが「誰か」宛てに、ここに出ている。
私は意味が分からないまま札を見ていた。そこへ通勤帰りの男が通りかかり、同じ札を見て、眉間の皺をほどいた。泣きそうでも笑いそうでもない顔で、囲いのガラスにそっと掌を当てる。
音はしない。
なのに、キューブがひとつだけ色を失った。澄んだ青が乳白色に濁っていく。綿雪に沈むみたいに、光が痩せた。
男は掌を離し、何かを置いてきたみたいに軽くなって去っていった。
翌日、スーパーでその男を見かけた。いつもならレジで苛立ちそうな雰囲気なのに、その日は違った。会計が遅れても笑って待っている。怒りが消えた、というより、怒りの入っていた容器だけが空になったみたいな穏やかさ。
ただ、男は買った物を忘れて帰りかけた。呼び止められて受け取り、礼は言えたのに、そのあと少しだけぼんやり立ち尽くしていた。何かを探しているのに、何を探しているか分からない顔だった。
私はそこで、ようやく理解した。
あの箱は「受け取る」ためじゃない。「返す」ためだ。
返すと、楽になる。
代わりに、何かが抜ける。
抜けたものは、キューブの色として残り、最後は白く濁って沈む。
それから私は、二十三時を過ぎると無意識に駅前へ足が向くようになった。飾りは翌日も、翌々日も同じ場所で光っていて、商店街の人たちの会話からすると、年末年始もこのまま残るのだろう、という空気があった。静かな駅前にだけ、季節が居座っている。
札が出る夜と、出ない夜がある。
出るのは決まって、雨上がりか、靄が薄く出た夜だった。囲いの内側に結露が生まれ、綿雪の上の光がひと呼吸ぶん揺れて、札に字が浮かぶ。
そして字を読んだ人は、必ず囲いに触れた。
部活帰りの高校生が札を見て唇を噛み、ガラスに額を寄せて数秒だけ目を閉じた夜があった。キューブがまたひとつ白く濁り、彼女は駅へ入っていった。翌日その子は友達と笑っていたが、笑い方が変わっていた。声を張り上げる癖が消え、口元だけで笑う。言葉がひとつ、見つからないように見えた。
駅前を掃除する人が札を読んで苦笑いし、手袋のまま触れた夜もあった。翌朝、その人はいつもより丁寧に落ち葉を集めていたのに、花壇の花の名前だけは思い出せずにいた。「あれ、ほら」と言って首を傾げ、指先が空を掴む。
小さなものほど、よく抜ける。
固有名詞。約束の言い回し。呼びかけの癖。
誰かを縛っていた呼び方。
年の瀬が近づいた、また雨上がりの夜。二十三時を回ると、囲いの内側が曇った。札の字は前よりくっきりしている。
今度は、私の番だった。
札に出たのは私の名前じゃない。幼い頃、家の中だけで呼ばれていた呼び名。今はもう誰も使わないはずの、甘ったるい呼び方。
読んだ瞬間、胸の奥が疼いた。呼んでいた人の声が浮かぶ。顔も浮かぶ。なのに、その人の“名前”だけが見えない。思い出そうとすると、頭がかゆくなる。
札の下に、もう一行あった。
「返すもの:ひとつ」
ひとつだけ。何を。
考えたとき、私は思い当たった。私はこの駅前を、心の中でどこか軽んじていた。賑わうのは反対側だとか、こっちは静かで何もないとか。大きな飾りが立つたび「似合わないのに」と思っていた。誰かの頑張りを、勝手に減点していた。
その癖を返す。
そう決めた瞬間、トナカイの影がこちらを向いた気がした。もちろん気のせいだ。動くのは飾りじゃない。私の決心だけだ。
私はガラスに掌を当てた。冷たい。雨上がりの空気より冷たい。
掌の形に結露が広がり、札の文字が滲む。その滲みの中で、呼び名だけが最後まで残り、ふっと消えた。
同時に、キューブがひとつ白く濁った。
胸が軽くなる。嫌な優越感が剥がれ落ちたみたいに、すうっと楽になる。私は、これで終わりだと思った。
けれど帰り道、スマホを開いてある連絡先を探した。年末の挨拶を送ろうと思って。
顔は浮かぶ。口調も浮かぶ。やり取りの内容も浮かぶ。なのに、名前だけが出てこない。検索しても引っかからない。履歴を辿っても、なぜか“そこ”が欠けている。
返したのは癖だけじゃない。
癖を返す代わりに、私は「誰かを呼ぶための言葉」も一緒に手放したのだ。関係を固定していた札が、私の中で剥がれた。だから、呼び出せない。呼びつけられない。思い出せないまま、ただ温度だけが残る。
翌朝も、駅前のイルミネーションはまだ立っていた。
その数日後、年が明けても、光は同じ場所で瞬いていた。おそらく年末年始を越えてもしばらくはこのまま残るのだろう。昼の光の中では、ただの飾りに見える。透明な囲いの中に、二体のトナカイと、プレゼント箱と、色のキューブ。
キューブは、ほとんど白く濁っていた。
そしてプレゼント箱の札は、昼間なのに、うっすらと濡れた跡が残っている。誰かが触れた掌の形が、結露でも指紋でもない輪郭で。
私はその札を見て、読めないはずの文字を、なぜか理解してしまった。
「返却済」
誰の、何が。
それを考えようとした瞬間、頭の中の“駅の名前”がまたひとつ落ちた。落ちたものは音も立てず、冬の白い濁りになって、どこかへ沈んでいく。
だから今も、私はこの場所のことを説明でしか呼べない。
住宅地の小さな駅前。緑の看板のスーパーがある側。
季節が終わる夜に、プレゼント箱が宛名を探しにくる場所。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。


