午後二時半、遠景に合う山

写真怪談

郊外の幹線道路を抜けるその道は、冬になると妙に空が広く見えた。
12月中旬、午後2時半。冷えきるには早いのに、光だけが薄く硬くなり、街路樹の葉がまだ残っているのが不自然に感じられる時間帯だ。

その時間、視線の先には富士山がいる。
街の電線や鉄塔や屋根の線がいったんぜんぶ遠景に溶け、その向こうで山だけが、淡い輪郭を持って立つ。
遠いはずなのに、遠いという感覚が薄い。目が勝手に“そこ”に合ってしまう。

同じ場所を通るたび、私は自分の目の癖だと思い込むようにしていた。
近くのものは、たとえば手前の街路樹の枝葉は、いつも少しぼやける。枝の一本一本が確かめられない。ピントの合う場所が、いつも遠景へ逃げるからだ。

ある日、信号待ちの列の最後尾で、バイクが私の右前に入ってきた。
白っぽいヘルメット。冬の光を受けて、頭だけが丸く、妙に新しく見えた。

青になって、車列が動き出した瞬間だった。
バイクの背中越しに見えていた富士山の輪郭が、ほんの少しだけ“割れた”。

違和感は、欠けているとか崩れているとか、そういう荒っぽいものじゃない。
輪郭が、線として途切れたのではなく、そこだけ別の焦点距離に移ったように、空気がずれた。
ピントが合う場所が一瞬だけ切り替わり、遠景の山が、こちら側に滑った。

そのとき、山の斜面に黒い影が走った。
雲の影ではなかった。雲はない。太陽は高く、影は本来もっと短いはずだった。
なのに影は、斜面を下り、電線の向こうへ、街の屋根へ、そして道路へと伸びてきた。

道路の上に落ちたのは影ではない。
光を遮るだけの平面じゃなかった。
そこは“へこみ”になっていた。アスファルトが、影の形に合わせて沈む。車のタイヤがそこを踏むと、ぐにゃりと弾むでもなく、静かに深く沈んだ。

バイクはそれを避けなかった。
避ける暇がなかったのか、避ける必要がないと思ったのか、あるいは——見えていなかったのか。

前輪が、へこみに触れた。
触れた瞬間、バイクの後ろ姿が、二枚に分かれた。

一枚は普通に進んでいく。テールランプが光って、車列に紛れて、次の交差点で右に消えた。
もう一枚は、そこに残った。
道路の上に、薄いフィルムみたいに貼り付いて、動かない。
ヘルメットの丸だけが、光を拾って、妙に鮮明だった。

私は思わずブレーキを踏んだ。
後ろの車がクラクションを鳴らし、現実に引き戻される。視線を道路へ戻した瞬間、“残った方”は見えなくなった。
影のへこみもない。アスファルトは乾いて、ただの冬の午後だった。

家に帰ってからも、あの一瞬が頭から離れなかった。
幻覚の類だと片付けたかった。けれど、妙なことに、バイクのナンバーも、車体の色も、何ひとつ思い出せない。
思い出せるのは、ヘルメットの丸さと、富士山の輪郭が割れた感触だけだ。

翌日も、その道を通った。
同じ時間。午後2時半。
富士山は、昨日より少しだけ濃く見えた。空気が澄んだせいだ、と頭は説明する。でも目は違う説明を知っているみたいだった。
“近い”のだ。山が。

信号待ちの列の中、ふと街路樹のぼやけた葉に目をやると、葉の隙間から覗く富士の輪郭が、紙を切り抜いたみたいに鋭く見えた。
本来ぼけるはずの前景が、私の目の中で勝手に“消され”、遠景だけが貼り付けられる。

電線が、その貼り付けを縫っていることに気づいたのは、そのときだった。
空を横切る黒い線が、ただの線ではない。縫い糸だ。
山と空の境目を、街と遠景の境目を、私の目の奥と世界の表面を——縫い止めている。

その縫い目が、毎日少しずつほどけていく。

三日目、山の影がまた走った。
四日目、影は道路の中央分離帯の植え込みに落ち、緑が一瞬だけ煤けた色に変わった。
五日目、影のへこみに触れた車のタイヤが、沈んだまま戻らず、車体がわずかに傾いた。運転手は気づかない。誰も気づかない。
気づくのは、遠景に合ってしまった私の目だけだ。

そして六日目。
私は、信号の向こうに“残ったバイク”を見た。

走っている車列の背後、存在しないはずの空間に、薄いバイクの背中が貼り付いていた。
ヘルメットの丸だけが、あの日と同じように白い。
その白さが、こちらを向いた。

顔が見えるはずがないのに、視線だけが分かった。
見られている、ではなく——合わされている。
焦点を、私に。

その瞬間、私は理解した。
これは山の影ではない。
富士山そのものが、“遠景”という距離の皮を脱いで、こちらへ来ている。
来るために必要なのは、道でも空でもない。焦点だ。
誰かの目が、遠くに合い続けること。それが、引き寄せる力になる。

だから、午後2時半。
日常がまだ忙しく、誰も空を見上げない時間。見上げるとしても、遠くをぼんやり眺めるだけの時間。
そこでたまたま、遠景に合ってしまった目を、山は拾う。

その夜、部屋の中でスマホを開いた。
近くの文字が読みにくい。画面が滲む。眼鏡を拭いても変わらない。
窓の外を見ると、遠い街灯の光だけが、異様にくっきりしていた。

私は試しに、指先を目の前に立てた。
指がぼやけた。
代わりに、窓ガラスの向こう、遥か先の闇の中に、淡い三角形が浮かび上がった。

富士山だ。
ここから見えるはずがない角度なのに、いつもの位置に、いつもの輪郭で。

息が詰まる。
目を逸らそうとすると、逸らした先にも富士山がある。
テレビの黒い画面にも、鏡の奥にも、湯気の立つやかんの向こうにも。
遠景の皮を被ったまま、あらゆる距離の背後に貼り付いている。

耳の奥で、細い音がした。
ブーン、ではない。エンジン音のようで、糸が引かれる音でもある。
縫い糸が、引き絞られていく音だ。

窓の外で、電線が一本、きゅっと鳴った。
それを合図に、部屋の空気が沈む。
床が、影の形に合わせて“へこみ”はじめる。

黒いへこみが、部屋の中央に広がり、そこに——道路が見えた。
冬の午後2時半の光。車列。街路樹のぼやけた葉。
そして、信号の先に貼り付いたバイクの背中。

バイクのヘルメットが、ゆっくり振り向く。
白い丸の表面に、山の輪郭が映る。
映った輪郭は、割れている。
割れ目の奥に、さらに暗い三角形が開いている。

そこは山の影ではない。
影の“中身”だ。

私は気づいてしまった。
バイクは無関係な通行人なんかじゃなかった。
無関係でいられるのは、見ていない人だけだ。
見てしまった目は、通行人でも、住人でも、ただの背景でもなくなる。

へこみの奥から、冷たい空気が這い出してきた。
山肌の匂いでも、雪の匂いでもない。乾いた煤と、古い紙と、遠すぎる場所の匂い。
目を閉じようとしても閉じられない。焦点が、勝手に遠景へ釘付けになる。

最後に見えたのは、富士山の輪郭が、電線で縫い止められていく様子だった。
一本、また一本。縫い糸が増えるたび、私の部屋は薄くなり、午後2時半の道路が濃くなる。

そして私は思い出した。
あの日、道路に残った“もう一枚”のバイクが、なぜ見えなくなったのか。
あれは消えたんじゃない。
こちらが、見える側へ移ってしまっただけだ。

次の瞬間、部屋の床が、アスファルトのざらつきに変わった。

信号が青になる。
車列が動き出す。
私の右前で、白いヘルメットが光る。

そして遠景に、富士山がいる。
淡い輪郭のまま、確かに近い場所に。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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