通過人数マイナス1

写真怪談

駅のシステム部門に回されてから、俺の仕事は「人を見ない」ことになった。
監視カメラの映像も、自動改札のログも、全部「数」と「エラーコード」に還元して眺める。
誰が通ったかはどうでもいい。ただ何人通ったか、いくら売り上げがあったか、それだけだ。

その朝、警告メールの件名にはこう表示されていた。

《○線○駅 自動改札C-4 通過人数:−1 要確認》

マイナス一。
ありえない数値だった。改札を誰かが逆走したって、カウントは減らない。
おかしなログが出たときは、該当時間帯の画像が自動で切り出されるようになっている。
添付された静止画を開いた瞬間、俺は見覚えのある光景に、思わず息を止めた。

銀色の自動改札が四台、矢印と赤い×印を光らせて並んでいる。
フレームの中心を、ワイシャツ姿の通勤客がスマホを握ったまま通り抜けていく。
画面手前には、改札を抜けていく脚と、右側にはビジネスバッグを下げた腕。
ちょうどその位置関係も、被写体の切れ方も、俺が以前ストックフォトサイトで見かけた一枚の写真と酷似していた。

だが決定的に違うところがひとつだけあった。

矢印が点灯している改札の手前に、誰もいないはずの場所が、妙に「詰まって」見えるのだ。
人影はないのに、周りの乗客の脚だけ、そこを避けるように湾曲して写っている。
空間そのものが、一人分だけ押し出されているような歪み。

AIの解析ログには、小さく「輪郭抽出不能」「人体推定失敗」と出ていた。

「また誤検知か……」

そう呟きながら、俺は動画の方も確認することにした。
エラーが起きた時刻の前後十秒が、無音の映像として再生される。

人波が改札に流れ込む。
ICカードをタッチする音が聞こえてくる気がするほど、いつも通りの朝のラッシュ――のはずだった。

八時二十三分十五秒。

緑色の矢印が点灯した瞬間、そこに「誰か」が現れた。
と言っても、カメラに映ったのは腰から下だけだ。濃紺のスラックスに、少し古い型の革靴。
上半身は、そこでスパッと切り落とされたように、フレームから消えている。

脚だけの誰かが、音もなく改札を通り抜ける。
周囲の人間は、誰ひとりとして振り向かないのに、肩がぶつかるはずの距離で、自然に道を空けていた。

そしてその脚が改札を抜けた瞬間、画面右下のカウンタが「−1」を表示した。

俺は動画を巻き戻し、再生し直した。何度見ても同じだ。
おかしいのは、脚だけの人間が通ったときだけ、改札上部の青いランプが一瞬だけ暗く沈むことだった。
光の量が「一人分」だけ吸い取られたように。

数日後、同じ駅・同じ改札から、またマイナス一の警告が上がった。
時間もほとんど同じ八時半前後。
切り出された静止画には、やはり同じスラックスと革靴が写っている。
今度は少しだけブレていて、まるで早足で駆け抜けているかのようだった。

さすがに気味が悪くなり、俺は現場に行くことにした。
駅長に「改札のセンサーが誤作動してるかもしれません」とだけ伝え、問題のC-4の横に立つ。
朝のラッシュ、吸い込まれていく人波。
ICカードのタッチ音に紛れて、スーツの袖が俺の肩をかすめていく。

八時二十三分。

人の流れの中に、唐突に「隙間」が生まれた。
誰も立っていないのに、一人ぶんの幅だけ、周囲の人間が自然に避ける。
そこに、空気よりも冷たい何かが、ぬるりと俺の体をすり抜けた。

一瞬、視界の端にだけ、濃紺のスラックスと革靴が見えた気がした。
それは誰にもぶつからず、カードをタッチすることもなく、まっすぐにC-4を通り抜けていく。

改札の表示は、緑の矢印のままだった。

「今、通った……よな?」

思わず隣の駅員に声をかけると、彼は怪訝そうに首を傾げた。

「え? 今の時間帯なら、特に変な人はいませんでしたけど」

その日、システムに上がったログを見ると、やはりマイナス一が記録されていた。
ただし今回は、ログの備考欄に一行、見慣れない文字列が追加されていた。

《連続通過検知:10年目》

不審に思って過去ログを遡ると、ちょうど十年前の同じ日、同じ時刻から、この「マイナス一」が始まっていることが分かった。
最初の数年間は、旧式の改札だったため、ただの故障として処理されていたようだ。
当時の事故報告書を探ると、ひとつだけ気になる記述が見つかった。

――朝のラッシュ時、酔った男性客が改札機に挟まれ転倒。
 後続客の流れに押され、胸部を強く圧迫され意識を失う。
 救急搬送の際、「足はまだ動いているのに上半身が重い」と、担架を運んだ駅員が証言。

それから駅の構造が変わり、自動改札も更新され、事故のことを覚えている駅員はもうほとんど残っていない。
けれどログだけは、律儀に「マイナス一」を刻み続けていた。

十年目のその日、俺は仕事を終え、同じ駅の同じ改札を、自分のICカードで通ることになった。
たまたま打ち合わせが長引き、帰りも八時二十三分ちょうどに差し掛かる。

C-4の前で、またあの妙な「隙間」が生まれた。
人波の中に、俺だけが取り残されるような感覚。
目の前をスラックスの脚がすり抜けていく。
その足首の高さが、俺とまったく同じだと気づいたとき、背筋が氷のように冷たくなった。

俺のICカードをタッチする。
軽快な通過音とともに、矢印が点灯する。
だが足元には、俺とは別の足音が、確かにもう一つ分だけ重なっていた。

翌日、システムに上がったログを確認すると、そこにはこう表示されていた。

《自動改札C-4 通過人数:0(通過者:ID-XXXX、ID-XXXX)》

同じIDが二つ。
ひとつはもちろん、俺の。
もうひとつには、氏名欄にこう記載されていた。

《優先通行者》

その文字列は、誰も編集できない「システム予約語」の色で表示されていた。
俺が慌ててスクリーンショットを撮ろうとした瞬間、画面が一度だけふっと暗くなる。
まるで、改札上の青いランプが、再び「一人分」の光を吸い取られたかのように。

モニタが復帰したとき、ログはもとの「通過人数:−1」に書き換わっていた。
優先通行者の欄も消えている。
残っているのは、最初に切り出されたあの一枚の静止画だけだ。

銀色の改札機。
スマホを握った通勤客の腕。
そして誰もいないはずのスペースに、わずかに歪んだ床の線。

その場所を拡大すると、ぼやけた革靴の輪郭と、俺の履いている靴と同じ擦り傷が、かすかに重なって見えた。

今日も八時二十三分、C-4のログはマイナス一を刻む。
何度通過しても「一人分」だけ数が合わない。
その差分が、いつか俺自身になるのか、それとももうとっくにそうなっているのか。
知る方法は、どこにも残されていない。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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