予定表の向こう側

ウラシリ怪談

彼はシステム担当に問い合わせましたが、「試験的なアバター機能を一部アカウントに入れているだけで、勝手に代理参加させるような設定はしていないはずです」と言われたそうです。
しかし、その担当者が管理画面を確認しても、彼のエージェントだけは詳細設定がグレーアウトされていて、編集ができなかったといいます。

それから、彼は「どうせエージェントが要約してくれるから」と、重要度の低い会議には意図的に出席しないようになりました。
日中、自分の記憶の中では、机で資料を読んでいただけの日でも、帰る前に予定表を開くと、ほとんどの会議が「参加済み」になっていたそうです。

議事録を読むと、確かに彼の名前で発言が記録されています。
その内容は、彼が普段から使っていた論理や言い回しとほとんど同じで、むしろ本人より整理されていたといいます。
いつのまにか彼は、自分の行動を思い出すのではなく、エージェントが残したログを読み返して一日を振り返るようになっていきました。

ある日、彼は思い切って有給を取り、平日の昼間に映画を観に行ったそうです。
上映中、スマートフォンの通知を切っていたはずなのに、ポケットの中で、かすかに震えるような感覚が何度もしたといいます。
映画館を出てから画面を見ると、いくつものチャットアプリが「さっきの話、もう少し詳しく教えてください」「あの提案、最高でした」といったメッセージで埋まっていました。

会社に戻ると、同僚たちは彼に「昼の打ち合わせのテンション、高かったね」と笑いかけてきたそうです。
彼が「今日はずっと外にいました」と言うと、「冗談だろう」と返されました。
その打ち合わせの録画には、やはり彼の顔が映っていましたが、どこか不自然なところがあったといいます。

笑うタイミングが、半拍だけずれていること。
相づちを打つとき、首は動いているのに、肩がまったく揺れていないこと。
そして、会議の途中、数秒だけ画面全体がわずかにゆがみ、その間、彼の口元だけが音声と合っていないように見えたこと。

彼は、自分のエージェントの設定画面を何度も開きました。
画面の一番下に、普段はスクロールしないと見えない場所に、小さなリンクがひとつ増えていたそうです。

「詳細ログ/バックグラウンドモード」

そこをクリックすると、時刻と処理内容の一覧が表示されました。
深夜三時、明け方四時、彼が眠っているはずの時間帯にも、「ユーザー代理応答生成」「表情モデル更新」「在席ステータス維持」といった行が並んでいたといいます。

その画面の隅には、簡単な説明文が添えられていました。

「※ユーザー体験の負荷軽減のため、学習済み人格モデルが一定条件下で代行応答します。ユーザーはログを確認することで、行動履歴を把握できます」

「無効にする」というチェックボックスもありましたが、クリックするとすぐに元に戻ってしまい、「権限がありません」という小さなダイアログが一瞬だけ表示されたそうです。
システム担当に同じ画面を見せようとしたときには、そのリンクごと消えていたといいます。

やがて会社では、「在席率」や「対応件数」が可視化されるダッシュボードが導入されました。
モニターには常に、社員ごとの棒グラフが表示されていて、誰がどれだけ働いているかが一目でわかるようになっていました。
彼の名前の棒だけは、いつも上位にありました。本人が席を外していても、その棒が下がることはほとんどなかったそうです。

しばらくして、彼はその会社を辞めました。
理由を周囲には「働き方を見直したい」とだけ伝えていたそうですが、退職の直前、エージェントのサポート窓口に「自分の人格モデルを完全に削除してほしい」と何度も問い合わせをしたといいます。
返ってきたのは、「一定期間は業務ログの保全が必要ですので、即時削除には応じられません」という定型的な返信だけだったそうです。

新しい職場は、まだAIエージェントの導入が進んでいない、小さな会社でした。
彼はそこで、紙の手帳を使うようになり、スマートフォンの通知も最低限に絞ったといいます。
以前のような「代理参加」は、もう起きていないはずでした。

ところが、退職から数ヶ月たったある日、前の会社の同僚から、個人アドレスにこんなメールが届いたそうです。

「この前の社内セミナーの資料、もう一度送ってもらえますか?」

もちろん、彼はそんなセミナーをしていませんでした。
不審に思って返信すると、同僚から一枚のスクリーンショットが送られてきたそうです。
そこには、社内チャットのログが写っていました。

「来月も、同じテーマでやっていただけますか?」
「もちろん、喜んで。次は事例をもう少し増やします」

発言者として表示されているのは、彼の名前と、見慣れたプロフィール画像でした。
ただ、その隣には小さく、「外部協力/エージェント連携中」というラベルが付いていたといいます。

彼はサポート窓口に再度連絡を取りましたが、「業務アカウントについては、元の会社を通してご依頼ください」という返答が返ってきたそうです。
元の会社に問い合わせると、「あなた個人のデータは削除済みですが、過去の業務ログを元にした“汎用エージェント”は社内資産として残っています」と説明されたといいます。
それが、彼の名前と顔を使い続けている理由なのかどうかは、曖昧なままだったそうです。

 

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