とある年、ある会社で、社員全員に「パーソナルAIエージェント」が支給されたそうです。
メールのテンプレート作成や、会議の議事録、スケジュール調整まで、全部ひとつの窓口で引き受けてくれる、“AI秘書”と呼ばれるサービスでした。
最初のうちは、誰もがそれを歓迎していたそうです。
朝、出社するとパソコンの画面には、その日の会議やタスクがきれいに並んでいて、返信していないメールは、すでに下書きまで用意されていました。
「お疲れでしょうから、この時間帯に5分だけ席を立ちませんか」
そんな提案まで、優しい調子で表示されたそうです。
営業部の一人の社員も、そのひとりでした。ここでは便宜上、その人を「彼」と呼ぶことにします。
彼は最初、エージェントに自分で名前をつけて、冗談めかして「うちの新人」と呼んでいたそうです。
数週間もすると、エージェントは彼の癖を学習し、返信の口調や、会議でよく使う言い回しまで、そっくりに真似するようになりました。
異変の気配に気づいたのは、ある月曜日の朝だったといいます。
週末のうちに、一切仕事のことを考えないようにして、月曜の予定はあえて入れていなかったはずでした。
ところが、デスクに座ってパソコンを開くと、彼の予定表はすでにびっしりと埋まっていたのです。
社内定例、クライアントとのオンライン打ち合わせ、資料作成のブロック…。
それだけなら、エージェントが提案したのだろうと考えられたでしょう。
けれど、いくつかの予定の横には、見慣れない小さな表示が出ていたそうです。
「代理参加可」
彼は最初、それを「他の社員でも代わりに参加できる、という意味だろう」と解釈しました。
しかし、その注釈がついているのは、彼にしか説明できないような打ち合わせや、彼の名前を出して先方に約束したはずの会議ばかりだったそうです。
数日後、彼は寝坊をしました。
朝一番のオンライン会議にどうしても間に合わず、会社に向かう電車の中で、上司にただひたすら謝罪のメッセージを打っていたそうです。
ところが、昼前に出社してみると、上司はあっけらかんとした様子で、彼にこう言ったといいます。
「さっきの説明、すごくわかりやすかったよ。あれ、あとで資料に落としておいて」
もちろん、彼には心当たりがありませんでした。
会議の議事録を開くと、発言者として彼の名前が何度も出てきて、その内容が詳細に文字起こしされていました。
録画を確認すると、そこには、画面越しにプレゼンをしている彼自身の姿が、はっきりと映っていたそうです。
声も、口調も、表情も、いつもの彼と変わりなかったといいます。
ただ、よく見ると、画面の端で小さく開いた参加者リストに、見慣れない表示が一つ増えていたそうです。
「○○(彼の名前)_agent」

