片付けてはいけない置き場

写真怪談

うちの会社の資材置き場を、初めて見たときのことを今でもはっきり覚えている。

オレンジ色の巨大なタンク、傾いた一輪車、色あせたブルーシートと緑の土嚢袋。
空になったダンボールが雪崩のように崩れ、赤い養生シートが内臓みたいにねじれている。
脚立とパイプが組まれた骨組みの奥には、電動工具やホースが天井からぶら下がり、黒い工具箱が塔のように積み上がっていた。

——写真そのまんまの光景だ、と俺は思った。

俺が入社した小さな建設会社では、ここを「裏の山」と呼んでいた。
社長に「お前、若いんだから」と押しつけられた最初の仕事が、この裏の山の「片付け」だった。

「ここだけはあんまり触るなよ」
現場から戻ってきた先輩が、タバコをくわえたまま言った。
指さしたのは、中央のコンクリートミキサーと、その周りに積まれたコーンや工具箱の一角だった。

「なんでです?」
「昔、ちょっとな。……まあ、社長に聞け」

社長に聞いても、はっきりしたことは教えてくれなかった。
ただ、十年以上前、この置き場で一人事故死した作業員がいることだけは分かった。
資材の雪崩に巻き込まれ、見つかったときには、あのミキサーの中で硬く固まっていたらしい。

「まあ、縁起でもねえ話だ。片付けるにしても、あそこらへんは形を変えないでくれりゃいい」

社長はそう言って、手をひらひらと振った。

形を変えるなと言われても、どこからが「そこらへん」なのか分からない。
俺はとりあえず、端の方から少しずつ整理を始めた。

青いシートをめくると、湿った土と、いつのものか分からないペットボトルがごろりと転がり出た。
ダンボールの山を崩すと、中から赤錆びたスコップや、泥で固まった軍手がいくつも出てくる。
そのたびに鼻をつく匂いが立ちのぼり、目の奥がちかちかした。

夕方になるころには、一輪車三台分くらいのゴミが集まっていた。
トラックに積み込んで処分場に運び終えると、裏の山は少しだけすっきりしたように見えた。

その日の夜、俺は妙に眠れなかった。
耳の奥で、ガラガラと何かが崩れる音が続いている気がしたからだ。
夢と現実の境目があやふやになったころ、誰かが足元を引っ張るような感覚があって、目を覚ました。

暗い部屋の天井に、工事用コーンの影のような三角形が揺れていた。
風でもないのに、ゆらゆらと。

翌朝、会社に行くと、俺は思わず立ち尽くした。

片付けたはずの裏の山が、元通り——どころか、昨日よりも高く積み上がっていたからだ。

ブルーシートのしわの寄り方、崩れたダンボールの角度、赤いシートのねじれ方まで、ほとんど昨日の朝と同じに見える。
ただ、山の表面に、見覚えのない緑色の袋がいくつも増えていた。

「……こんなに持ってきましたっけ」

つぶやくと、後ろから先輩がぼそっと言った。

「お前さ、昨日どれくらい片付けた?」
「一輪車三台分くらいですが……」
「だよな。朝来たらさ、なんか増えてんの、当たり前みたいな顔してそこにあるんだよ」

先輩は裏の山を一瞥すると、肩をすくめた。

「気にすんな。うちはそういうとこだから」

そういうとことは、どういうとこだ。
だが、その返事を聞く前に、現場へ出る時間になってしまった。

それから数日、俺は意地になって裏の山と格闘した。
右側の一角を丸ごと崩して、種類ごとに分けて棚に整理する。
古すぎるものは写真を撮ってから処分し、新しいものは雨の当たらない奥にしまう。

仕事終わりに振り返ると、置き場は見違えるほど整って見えた。
ただ一つ、コンクリートミキサーと、その周りのコーンや工具箱だけは、指示どおり形を変えないように残しておいた。

だが翌朝、裏の山はやはり元に戻っていた。

分けて積んだはずの板材が、また斜めに崩れてダンボールの上に乗っている。
空にしたはずの黄色いドラム缶の中には、昨日捨てた古いケーブルが、まるで初めからそこにあったかのように巻かれていた。

違うのは、少しずつ「余分なもの」が増えていることだった。

見覚えのない赤いネット、いつの間にか増えた踏み台、使った覚えのない工具箱。
どれも少し泥がついて、古びている。
なのに会社の誰に聞いても「そんなの前からあっただろ」と言うのだ。

俺は不安になって、自分なりの「証拠」を残すことにした。

ダンボールの一枚に、太いマジックでぐるりと輪を描き、その真ん中に日付を書いた。
それを写真に撮ってから、山の一番上にそっと置く。

「あした元に戻ってたら、これも同じ位置にあるはずだ」

そうつぶやきながら、その日は事務所に泊まり込むことにした。
裏の山のすぐそばの仮眠室なら、もし誰かが夜中にこっそり片付けを「戻して」いるとしても、気づけると思ったからだ。

深夜二時過ぎ、外から、ぎし……ぎし……と金属がこすれる音がした。

俺は跳ね起きて、窓から裏の山をのぞいた。

街灯に照らされた資材置き場で、誰かが動いている。
脚立とパイプの間を、ぬるぬると何かが這い回っているように見えた。

懐中電灯をつかみ、外へ出る。

近づくにつれて、その「何か」の輪郭がはっきりしてきた。
一輪車の車輪が、勝手に回りながら地面を引きずられていく。
コーンが斜めに傾き、その影が地面を滑って、別のコーンと重なった。
ぶら下がっていたホースが、上から下へとずるりと落ちて、まるで誰かの腕のようにミキサーの側面を撫でる。

ものたちが勝手に動いている……というより、すべてが一つの方向へ、じわじわと「寄せ集められて」いるようだった。

コンクリートミキサーの周りに。

俺は足がすくみ、懐中電灯を握ったまま立ち尽くした。

やがて、ミキサーの影が、不自然に膨らみ始めた。

工具箱が積み上がっていき、コーンが二本、三本と並び、その上をブルーシートがずるりとかぶさる。
ホースとケーブルが絡み合って、骨のような形を作り出した。

山の中から覗いている、黒い穴。
人の顔の位置にあたる場所だけが、ぽっかりと空いている。

そこから、冷たい風が吹いた。

……戻しておけ。

声というより、ささやきにもならない空気の震えが、胸の奥に直接響いた。
耳をふさいでも聞こえる。

俺は、逃げ出すことすらできず、その「山の形」を見つめた。

それは、初日に社長から見せられた事故報告書の、簡単なイラストとよく似ていた。
資材の山に飲まれて倒れた作業員の姿。
あの時はただの絵だと思ったが、今目の前にあるのは、資材そのものが組み上がって出来た「人の形」だった。

目の位置の黒い穴から、湿った土と鉄の匂いが流れ出てくる。
その匂いを吸い込んだ瞬間、頭の中に、見たことのない光景が流れ込んできた。

崩れかけた足場。
「このぐらい大丈夫だろ」と笑う男の背中。
崩れ落ちるダンボールと鉄パイプ。
暗いミキサーの中で、固まっていく体。

俺は思わず、山に向かって頭を下げていた。

「すみません……」

そう口にした途端、風がぴたりと止んだ。
積み上がっていた道具たちが、一斉に崩れ落ちる。

その音で我に返った俺は、懐中電灯を投げ出すようにして仮眠室へ駆け戻り、夜が明けるまで震えていた。

翌朝、置き場を見に行くと、裏の山はまた元通りになっていた。

ただ一つ違っていたのは、ミキサーの側面に、泥で汚れた指跡のようなものが五本、くっきりとついていたことだ。
その指跡は、まるで誰かが内側から縁をつかんで「出ようとして」滑った跡のようにも見えた。

山の一番上には、俺が書いたはずのダンボールがなかった。
代わりに、同じ大きさの別のダンボールが置いてあり、そこには輪も日付も書かれていなかった。
写真に残しておいたはずの画像をスマホで確認すると、そこにも、ただの無地のダンボールしか写っていなかった。

先輩は、その指跡をちらりと一瞥して、ため息をついた。

「お前、見ちゃったな」

「……何を、ですか」

「うちの“山”さ。片付けようとした奴は、みんな一度は見るんだよ」

先輩は、ミキサーの上をぽんぽんと叩いた。

「ここ、片付けるのやめろってさ。散らかってるのが、あいつの“形”なんだとよ」

冗談めかして笑うその顔が、少しだけ引きつっているのが分かった。

「じゃあ、このままにしておくんですか?」
「そういう約束で、ここを買い取ったって聞いた。ふつう、事故があった現場は更地にするだろ? それをしなかった会社の言い訳が、これなんだろうよ」

先輩は肩をすくめた。

「ま、気になるなら、別の現場に回してもらえ。ここを完全に片付けようとしたやつは、長く続かねえ」

その言葉どおり、俺は一ヶ月後には別の会社へ転職した。
最後に裏の山を見に行くと、初めて来たあの日と同じ——いや、少しだけ背丈を増した姿で、そこにあった。

オレンジ色のコーンが増え、ブルーシートの下には、見覚えのない脚立が一本、横たわっている。
その脚立のひとつの段だけが、泥で黒く染まっていた。

あれから数年たつが、通りかかるたびに、俺はフェンスの隙間からあの置き場をのぞいてしまう。
資材置き場は相変わらず散らかり、山は少しずつ形を変えながらも、けっして「片付く」ことはない。

どこかの会社が倒産しても、近くで工事が終わっても、なぜか新しい廃材や道具だけは、いつの間にかそこに集まってくる。

まるで、裏の山が自分の体を作り替えるために、ゆっくりと、確実に「材料」を集め続けているみたいだ。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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