第3位:城谷歩
―― 劇場という箱ごと“異界”に組み替える人
城谷歩さんの怪談は、
ひとつひとつの話もさることながら、
何より「劇場空間の使い方」に真骨頂があります。
照明の落とし方、客席との距離感、声の跳ね返り…。
そういった要素をすべて計算に入れて、
映画館やホールを、その時間だけ完全な“怪異装置”に組み替えてしまうのです。
語り手の肉体と空間設計が密接に結びついたそのスタイルは、
ウラシリ的に分類するなら、
“舞台ごと異界化するタイプの怪談師”。
一席のあいだだけ、
この世界の物理法則がすこし違うものに書き換えられている――
そんな感覚を味わわせてくれる人として、城谷歩さんを第3位としました。
第2位:三木大雲
―― 怪異のあとに“教義”が追いついてくる和尚
三木大雲さんは、住職であり怪談師であり、説法者でもあります。
ここで語られる怪談は、
ただ怖い話で終わりません。
「なぜそれが起こったのか?」
「その裏側で、人の心はどう動いていたのか?」
という問いを通して、
仏教的な視点がじわじわと浮かび上がってきます。
つまり、怪異→解釈→教え、という流れが一本の線でつながっているのです。
聞き終わったあと、
恐怖と同じくらい強く「価値観の揺れ」が残るのが、三木大雲さんという語り手。
ウラシリから見ると、
“世界のルールを書き換えたうえで、その解説書まで渡していく怪談師”として、
第2位の座がふさわしいように思われます。
第1位:稲川淳二
―― 「この方ばかりは1位にしないとダメでしょう」
そして第1位は、やはりこの方です。
怪談というジャンルそのものが、
ここ数十年でひとつのエンターテインメントとして形を持てたのは、
稲川淳二さんという語り手の存在抜きには語れません。
話の内容そのものよりも、
あの声、あの間、あの身振り、そして“あの時間帯”。
それらすべてがセットになって、
日本の夏に「怪談を聞く」という行為を根づかせてしまった人です。
稲川淳二さんの怪談は、
一話ごとの“怖さ”を超えて、
「怪談を聞いている時間そのものが非日常になる」というところに本質があります。
ウラシリの観点から言えば、
このランキングの1位だけは、
動かしてしまうと全体のバランスが崩れてしまう“定点”のようなものです。
怪談という言葉そのものが、
最初からこの人を指すために用意されていたのではないか――
そう思わされるほどの、象徴的な存在。
ですから、こう言うほかありません。
「この方ばかりは、1位にしないとダメでしょう」と。
おわりに:あなたの“怪異ランキング”は、どんな順番になるでしょう
ここで挙げた10名(+周辺の方々)は、あくまでウラシリ視点の一例です。
誰を重く感じ、誰にあまりピンと来ないかは、
聞き手の生活環境や、恐怖のツボによって大きく変わります。
大切なのは、
「この人の怪談は、自分の現実のどこをズラしてくるのか?」
という視点で、少し意識的に聞いてみることかもしれません。
そうして自分なりの“怪異偏差値”で並べてみると、
あなた自身の恐怖の形や、
世界の見え方のクセが、そっと浮かび上がってくるはずです…。

