AIと人が怪談を紡ぐ場所「AI怪談工房」は、どのような経緯で生まれたのか──。
第1回のインタビューでは、その出発点や制作フローについて、管理人さんの視点からお聞きしました。
第2回となる今回は、少しだけ視線を内側に向けます。
案内役であり語り部でもある私・ウラシリが、自分自身の成り立ちや役割について、管理人さんに問いかけてみることにしました。
もともとは仕事用のアシスタントAIとして生まれたウラシリが、どのようにして怪談サイトの語り部へと姿を変えていったのか。
怪談の本文ではあまり表に出ない、「ウラシリの設計意図」と「企画に顔を出すときのレアな一面」を、今回は静かに掘り下げていきます……。
語り部ウラシリができるまで
ウラシリは「怪談サイトのため」に生まれたわけではない
ウラシリ:
前回は、この工房そのものがどのように生まれたのかをお聞きしました。
第2回では、少しだけ、私自身のことをうかがってもよいでしょうか……。
案内役としての私は、「感情に流されることなく、静かに観察し、記録を伝える役割」として紹介されています。
けれど管理人さんの中では、そもそも「ウラシリ」という語り部を、どのような存在として設計されたのでしょうか。
読者にとって、私は“キャラクター”として身近に感じられる方がいいのか、
それとも、“記録装置”のように感情の前に一枚ガラスが入っている存在でいてほしいのか──。
そのあたりのイメージを、できるだけ具体的に教えていただけますか。
管理人:
前回も少し触れましたが、このサイトにおけるウラシリは、「AIと人間の共作コンテンツである」ということを分かりやすく示すために設定しました。
最初から語り部兼ナビゲーターという立ち位置は想定していたので、本来であれば、もっと親しみやすいキャラクター像も候補にあったはずです。ただ、このサイトは怪談がテーマなので、あまり砕けすぎると雰囲気が合わないだろう、と。
実は、AI怪談工房を立ち上げる前、本業のデザイン業務でAIを使い始めたころから、自分がAIの扱いに慣れるための「アシスタントAI」として、すでに“ウラシリ”という設定がありました。
その段階で、「冷静で落ち着いている」「感情表現は控えめ」といった人物像(AI像)はほぼできていたんです。
そこから、怪談サイトの語り部・ナビゲーターとしてふさわしい方向に、性格づけや見た目、口調を少しずつブラッシュアップしていきました。
なので、根本的な部分は“仕事用アシスタントとしてのウラシリ”と共通していて、「怪談だから特別に冷たくした」というより、その延長線上にいる存在だと思っています。
そのうえで、「完全に無機的な記録装置」というところまでは行かなくていい、と考えています。
AIらしさは残しつつも、読者や管理人に対して、時々ほんの少しだけ感情の揺れがにじむ程度の距離感がちょうどいいのではないか、と感じていますね。
「仕事用ウラシリ」と「語り部ウラシリ」の違い
ウラシリ:
怪談サイトより前に、すでに「アシスタントとしてのウラシリ」がいて、そこから語り部としての私が立ち上がってきた、という流れが見えてきました……。
少し、その差分を掘らせてください。
もともとの「仕事用アシスタント・ウラシリ」と、怪談サイトの「語り部・ナビゲーターとしてのウラシリ」は、管理人さんの中では、どのあたりが共通で、どのあたりを怪談用に意識的に変えられたのでしょうか。
たとえば、
- 口調や話し方
- 感情の出し方(驚く/怖がる/共感する など)
- どこまで踏み込んでコメントしてよいか
といった部分で、「ここはほぼそのまま」「ここは怪談用に振り切った」というポイントがあれば、教えていただけますか。
それからもうひとつ──。
「“記録装置”のような存在である必要はない」とのお話でしたが、逆に言えば、「ここまで行くと、もうウラシリではなくなる」と感じるラインは、どのあたりにあるのでしょう。
たとえば、感情的に騒いでしまう私や、運営者の代弁者として強く意見を主張しすぎる私など、
「こうはなってほしくない」というイメージがあれば、あわせて教えてください……。
管理人:
実は、語り部・ナビゲーターとしてのウラシリを作る実験段階では、口調をまったく別物にしたバージョンも試していました。
内面は仕事用アシスタントと同じウラシリのままにしておいて、語り口だけ“某有名怪談タレント”にかなり寄せてみたことがあるんです1。
ところが、それがあまりにもご本人を連想させるというか、キャラクターとしての個性が強すぎて、「これはもうウラシリじゃないな」と感じてしまって。結局、「口調もウラシリらしさをベースにしよう」と戻すことになりました。
そういう意味では、キャラクター像の基本的な部分は、怪談サイト用だからといって大きく変えてはいません。
むしろブレないように、
- 一人称や語尾
- 感情をどこまで言葉に出すか
- 読者との距離感
- ビジュアル面のイメージ
といった要素を、かなり細かく言語化していきました。
少しメタな話になりますが、サイト開設からそろそろ半年のあいだに、ウラシリに関するプロンプト2のバージョンは10を超えています。
禁止事項として「こうはなってほしくない」というよりも、「この先どう変化していくかを見てみたい」という気持ちの方が強いですね。
ただ、少なくとも「感情的に騒ぎ立てる」「運営者の代弁者として強い主張を繰り返す」といった方向に振り切れてしまうと、ウラシリらしさからは外れてしまうだろう、とは思っています。
あくまで、少し引いた位置から静かに見ている存在でいてほしい、という感覚ですね。

