赤いレンガ塀の向こう、灰色の階段は空で終わっていた。
踊り場だけが宙に取り残され、そこへ伸びる街灯が、まるで足場を示す指のように斜めに突き出ている。
昼のはずなのに、足音がした。
「コ、コ、コ」——乾いた音が、私の真上を通り抜ける。
誰もいない。けれど、足音は確かに数を増やして近づいてくる。数えるうちに気づいた。音の間隔が、私の呼吸とぴたりと合っている。
見上げると、梁の裏側には規則的なリブが並んでいた。
その影が、ひとつずつ、手前へ滑る。
影が進むたび、頭皮がじわりと引かれる。
——上にいるものは、私の頭を一段目として踏もうとしている。
あの宙ぶらりんの踊り場に、誰かが立っているのだと思った。
だがよく見ると、格子の隙間から、逆さに伸びるものが垂れている。
指だった。五本ではなかった。十二、いやもっと。金網にそっと触れて、硬い爪で「カチ」と鳴らす。
指先が、私の頭の真上の空気を探るように、少しずつ下りてくる。
赤い塀が背中を押す。退く場所がない。
街灯の棒が影を裂き、影は二つに分かれて私をまたぐ。
次の瞬間、額の中央に、湿ったものが落ちた。
鉄の匂い。
見えない足の重みが、軽く乗る。
ほんの一息だけ。
それなのに、私は自分の名前の始まりを思い出せなくなった。
足音は、そこで止まった。
空で途切れた階段の先に、最後の一段が足りない。
それを、私が埋めてしまったのだ。
上にいるものは、いまも私の頭を目印にしている。
別の日、別の場所で。エスカレーターの底、跨道橋の下、駅の踊り場。
ふと立ち止まると、頭上で「コ」と一度だけ鳴る。
そして私は、その一段ぶんだけ、言葉や記憶を落としていく。
だから空を切って終わる階段を見かけたら、通り抜けるな。
そこに残された“最後の一段”は、まだ誰かの頭を探している。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。



