秋口、裏路地のブロック塀が“呼吸”をはじめた。
昼間はただ割れているだけの傷口が、日暮れにはわずかに開き、夜明けには泥を吐き出してまた閉じる。割れ目の奥には木肌が見える。握り拳ほどの太い根に、まつ毛のような細い根がびっしり生えて、ひくひくと震えていた。
この塀はもともと古い屋敷の外周で、敷地の中央に一本だけ残った欅の根が、年々にじり寄っているのだと誰もが言った。ところが、向かいの古い商店のおばあさんだけは首を横に振った。
「それは“根の帳面”だよ」
おばあさんは、昔この町では家の出入り(生まれる・死ぬ・家を出る)を木の根で付け合わせる風習があったと話した。境の根が塀を割って顔を出したら、その家の“数”が合っていないしるし。塀の土を均して、葉を一枚だけ供え、人数ぶんの名を心の中で数える——数え終わるまで、決して目を上げないこと。
笑い話として聞き流した翌朝、割れ目の下の土が奇妙に平らになっていた。誰かが掌で撫でたみたいに、表面だけが艶を帯びている。黄葉が三枚、指の間隔で並んでいるのに気づき、足が止まった。
その日の夕方、近所の子どもが一人いなくなった。最後に目撃された場所は、あの塀の前だったという。
自治会の手配で業者が入った。根を切るため、鉄の棒を差し込んだとたん、ぬらりと濡れた木の皮が剥がれ、澄んだ匂いのする水がじわりと滲んだ。棒は途中で止まり、作業員は顔をしかめて「ああ、骨に当たった感触」と呟いた。
翌朝、割れ目はさらに広がり、根の表面に節の輪が二つ、指の関節のように膨らんで見えた。爪に似た薄い木屑が一枚、土にめり込んでいる。
それから先は早かった。夜のたびに塀の下で、乾いた土が少しずつ擦れる音がした。聞こえるのは、数を数えるテンポに近い。ひとつ、ふたつ、みっつ、と頭の中だけでなぞってしまうたび、割れ目から細い根が一本ずつ外に出て、地面の上で人の足の幅を測るように伸びた。朝になると、その根は消えている。かわりに、黄葉の枚数が増えていった。
五枚になった朝、商店のおばあさんが倒れた。救急車が行き過ぎてから塀を見に行くと、割れ目の奥が異様に暗い。覗きこむと、土の奥で何かが手首を返すみたいに、根の節がぎしりと曲がった。私は反射的に後ずさった。
足元の葉が、さっきまでと違う場所に落ちている。私のつま先の位置に、きっちりと。
その夜、私はおばあさんの言った手順を試みた。塀の前にしゃがみ、土を均し、黄葉を一枚だけ供える。目を上げないまま、心の中で、この町に今いるはずの名前を挙げていく。十、二十、三十……。
何番目かで、ちゃんと知らない名前が口の中に滑り込んだ。誰の名でもないのに、言わないではいられない。つぎの瞬間、土の下から柔らかいものが押し上がり、掌が温かくなった。握られた、と思った。冷たい木の皮とふわふわした細根が指の間に絡まり、ほどけない。
どうにか手を引き抜いたとき、黄葉は二枚に戻っていた。代わりに、割れ目の内側で根が一本、確かに“減って”いるのが見えた。
数が合ったのだ、と理解した。
誰の数と入れ替わったのかは、翌朝、町内放送の訃報で知れた。商店のおばあさんの名前が、早口で読み上げられた。
葬式の日、塀は口を閉じたようにぴたりと固まり、根の節は静かに土へ退いていた。私は包帯の巻かれた掌で塀をなぞる。ざらついたコンクリートの端、錆びた縦筋、ひび割れたモルタル。
その触感の合間に、皮膚の内側で何かが脈打つ。数える拍だ。私は目を閉じて、葉を一枚、心の中に置く。
名前を数え始めた瞬間、掌の下のコンクリートが、ごく僅かに、呼吸した。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。



