風の名簿

写真怪談

寺の裏手に、場違いな棕櫚(しゅろ)が一本、墓石の列を見下ろしていた。夕方の風を受けて、掌のような葉がばらばらに開閉する。葉の縁が触れ合うたび、木札を擦るような、経文の抜け殻みたいな音がした。

山門越しに見えるビルの屋上では、銀色の柱が二本、空へ針を立てている。町に新しくできた通信の基地局だという。以来、この寺でだけ“圏外からの着信”が続くと噂になった。呼び出し音は鳴らない。ただ、曇った耳の内側で、細かい名簿がめくれる気配がするのだと。

花を替えていると、棕櫚の幹から、枯れた繊維が人の髪のように垂れてきた。見上げると、葉の陰に濃い影が沈んでいる。鳥ではない。無数の指が、葉脈から生えているように見えた。指は墓地の方角を指し、札の文字を一つずつなぞり取っている。撫でられた名前だけが、風のたびに耳へ戻ってくる。

それは声ではない。発音を失った“通話”だ。棕櫚の上にいるものは、札に眠る名を拾い、背後の針に渡している。針は空へ投げ上げ、空はまた、誰かのポケットへ落とす。着信を開いた者は、名簿の次のページへと連なり、またひとつ、風の音が増える。

やがて、私の首元にも髪の感触が触れた。くすぐったさに手をやると、指先が凍った。垂れていた繊維の先に、私の名字が、湿った墨で書き足されていた。顔を上げる。棕櫚の影が、葉をいっぱいに広げ、まるで祝福する掌の形に膨れていた。

風が止む。基地局の鉄が、陽に冷えて鈍く光る。名簿はそこで終わり、次の夕方が来るまでは増えないのだと分かった。私はその場を離れた。振り返らないように歩きながら、胸ポケットの中で、呼び出し音のない着信が一度だけ震えた。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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