雨上がりの明け方、住宅地の通りは音が吸い込まれたみたいに静かだった。薄い雲の底から色の弱い光が降り、自転車専用通行帯のピクトグラムだけが路面で冷たく光っている。人の形をした白い塗装。その脚の先から、二本の細い線が伸びていた。
水を含んだアスファルトは、踏むたび沈むような感覚がある。縁石に沿って歩くと、白い線がわずかに前へずれ、私の歩幅と並んだ。錯覚かと思い、視線を上げて家並みを確かめる。郵便受け、カーサイドの植木、どれも変わりはない。視線を戻すと、マークの肩がさっきより傾いて見えた。私の肩掛け鞄が引く傾きと、似ている。
次の朝も同じ時刻に通った。路面は乾いていたのに、そのピクトグラムだけが濡れた箇所のように瑞々しい。二本の線は昨日より長く、縁石の金属板ぎりぎりまで迫り、途中にひとつ小さな欠けがある。昨日、私がつまずいた位置と重なる。舗装の工事でもあったのかと周囲を見渡すが、工事の痕跡はない。白い塗装は新しく、乾きかけの艶まで整っている。
三日目、回避するつもりで反対側を歩いた。ところが曲がり角で、二本の線が私の進行方向に回り込んでいた。矢羽根や自転車のマークではなく、ただ薄い白の帯が、地面の粒に沿ってすり寄るように伸びている。風はなく、車も来ない。私は立ち止まる。線も止まる。足を出すと、線は少しだけ前へ出て、待つ。並んで歩くための、“間合い”を覚えているふうに。
その夜、玄関で靴底を裏返した。白い粉が付いている。拭き取ると布巾が少しだけ硬くなった。乾いた塗料の匂いが、ほとんどわからない濃度で鼻に残る。嫌な予感がして、翌朝は別の道を使った。
一週間ほどして元の道に戻ると、ピクトグラムの頭の手前に、細い線の新しい端があった。そこから伸びた帯は、私の家の方角に折れている。住宅地の道は曲がりながら続く。曲がるたび、白は角を削るみたいに内側を最短で結び、電柱の陰では濃く、開けた場所では薄くなり、私の行く先を知っているかのように続いていた。地面のつやは均一で、塗りたての跡はない。けれど帯の輪郭だけが、雨に濡れた朝の明るさを保ったまま抜き出されている。
ある日の明け方、線はとうとう私の敷地に入ってきた。ブロック塀に沿うように細く伸び、ポストの影でいったん欠け、玄関の一段手前で止まっている。私は鍵の束を握ったまま、しばらく動けなかった。ほんの数ミリの厚みで、白は地面から浮いて見える。踏めば靴に貼りつきそうな、安いラベルのような質感。手を伸ばして触れる勇気は出ない。代わりに、ゆっくりと後ずさりして門扉を閉めた。
翌朝、線は玄関に触れていた。扉の下端に、白が薄く回り込み、内側へと消えている。家の内側には塗装などないはずだ。扉を開けると、たしかに内側の敷石に、薄い斑点が並んでいた。小さな足型。私の靴の形に似た楕円が二つ、玄関マットの手前で止まっている。湿ってはいない。指でこすっても広がらない。外側の線から剥がれて移った“転写”のように、そこだけ明度が高い。
それからしばらく、私の朝は変わった。白い帯は毎日少しずつ伸び、目が慣れるほど薄くなった。ある日の帯は、道路で突然途切れていた。ピクトグラムの足先が一つ、なくなっている。代わりに私の玄関の斑点は一つ増えていた。別の日には、帯の端がアスファルトの割れ目に沿って波打ち、家の中では床板の木目に合わせて細く枝分かれしていた。線は路面の規則をよく知っている。人の生活の規則にも、すぐ馴染んだ。
私は外履きを替え、あの通りを避けた。袋小路のような通りでも、白は時々見つかった。自転車マークの近く、矢羽根の間、ほかの印に紛れて、うっすらと“待つ姿勢”を取っている。薄暗い明け方の光の下だけで見える濃度。こちらが気付くと、線は近づかない。気付かないふりをすると、家のほうが増える。
ある朝、玄関の斑点は扉の内側の端にまで達していた。扉を閉めても、白は消えない。床の境目や巾木の影に沿って、いつの間にか家の形に合わせて整えられていく。外から連れてきた何かに、住居が“専用”と認識されていく感覚。自転車専用通行帯が車道の中に領域を持つように、家の中に私のための行路が塗られていく。
最後に外へ出たのは、斑点が寝室の前で止まった日の夜明けだった。玄関を開け、道のほうを振り返る。ピクトグラムは遠く、頭も肩も変わらず無表情だ。けれど足の先だけが減り、白い帯は薄い朝霧のようにこちらへ向かって伸びている。音はない。誰もいない。私はそっと扉を閉めた。
それから、家の中の線は増えも減りもしない。ただ、朝になると少し濃く、夕方には薄くなる。雨の翌朝には、いちばん鮮やかだ。ふと足を進めると、斑点はいつでも私の歩幅に合う間隔で並んでいる。踏み外すと、次の日にはその隙間ごと整えられている。家の外の帯は、もう見ない。見てしまえば、そこに続きが描かれてしまう気がする。
明け方、窓辺から道路を見下ろす。住宅地の静けさの中で、自転車専用の白だけがわずかに湿って光り、ピクトグラムは相変わらず動かない。けれど、その足先の“不足”は、私のほうで毎日補われていく。専用通行の先は、もう家の中にある。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。



