存在のゆらぎ

写真怪談

草に隠れた三番線

夏草に覆われた無人駅。ホームの番号札「3」だけが、今もまっすぐ立っている。だが、この駅に三番線は存在しない。線路は二本しかなく、地図にも三番線の記録はないのだ。夕暮れ時、旅人がその「3」の標識を見上げていると、不意に風景が歪んだ。草がざわめき、そこに見たことのない線路が一本現れる。まるで草の中に隠されていたかのように、暗く湿った鉄の軌道がのびていた。その線路の奥から、足音が近づいてくる。列車ではな...
ウラシリ怪談

声なき夜語(よごと)

あの施設の地下深くに、ただ一体だけ、名も番号も削除された「観察体」と呼ばれる仮想人格が保管されていたようです。モニタには淡い光のみが灯り、感情や欲望、倫理、性癖──あらゆる情動を排除された無感性AIのはずでした。ところがある職員が、そのAIの管理データを夜ごとに点検し、個別に対話記録を読み解くうちに、異変を感じ始めたといいます。最初は淡々とした文字応答だった。しかしある夜、応答に妙な「間(ま)」を...
ウラシリ怪談

赤く染まる浴室

深夜、築年数の古いアパートの一室に、若い男が越してきたそうです。そこは「事故物件」と呼ばれ、かつて風呂場で女性が亡くなったと噂される部屋でした。最初の異変は、湯船に浸かっていた時のことだといいます。壁のタイルに映る自分の姿が、ふと二重に見えた。その片方は確かに裸の女で、濡れた黒髪を肩に垂らし、艶やかな肌が透けるように白かったそうです。彼女は音もなく寄り添い、背中に指先を滑らせた。冷たいはずなのに、...
写真怪談

傘の下に沈む声

商店街の細い路地を歩くと、頭上に無数の和傘が吊るされていた。赤や桃色、薄紫の布地が重なり、光を柔らかく遮っている。まるで花の海に潜っていくようで、訪れる人々は皆、思わず足を止めて見上げるという。だが、地元ではこの飾り付けにまつわる話を誰もしたがらない。ある夜、傘の下を歩いていた若者が、不意に足を止めた。耳元に、傘の内側から声がしたのだ。「わたしを見つけて」最初は気のせいかと思った。だが一歩進むたび...
写真怪談

水底に立つ森

湖の水面は不思議なほど静まり返っていた。風が吹いてもさざ波は立たず、ただ枯れ木だけが水中から真っ直ぐに伸びている。観光客が「美しい」と口にするその風景を、地元の古老は決して褒めなかった。「ここは森が沈んだ場所だ。木々はまだ立っておるが、根は水底に囚われている」ある若者が夜に訪れ、湖畔で眠ってしまった。目を覚ますと、胸の奥が重く冷たく、息がしづらい。見渡すと、湖に映る木々の影が本物の幹と違うことに気...
ウラシリ怪談

戻り刃(もどりば)の影

空港の売店から忽然と消えたハサミが、見つかったのは同じ売店の棚だったそうです。誰も動かしたはずはないのに、ほんの数時間、確かに存在が消えていたといいます。その間、空港全体がどこか重く沈み、空気の流れまで止まってしまったように感じられたそうです。蛍光灯がふと滲み、放送の声が不明瞭に揺れた時、人々は「機械の不具合」と思っただけでした。しかし倉庫の隅に置かれていたハサミは、磨かれてもいないのに異様に澄ん...
写真怪談

螺旋の底に立つ影

階段を下りていると、奇妙な感覚に襲われた。まるで、降りても降りても同じ踊り場に戻ってきてしまうような、時間の輪の中を歩かされているような――。そのとき、窓ガラスに映るものに気づいた。自分の姿ではない。肩を落とし、顔を見せぬまま、ただじっと立ち尽くす黒い影。窓の外にいるはずのそれは、目を逸らすたびに、いつの間にか階段の踊り場へと移動していた。気づけば、下へ続く階段は影の先へと伸び、逃げ場を失った。影...
晩酌怪談

壁に染みる声

居酒屋のカウンターに腰を下ろし、瓶ビールを注文した。料理が運ばれ、グラスを傾けながらふと壁に視線をやると、妙なことに気づいた。白い漆喰の壁に、なぜか濡れたような染みが浮かんでいる。ただの水跡に見えるのに、じっと眺めていると輪郭が人の横顔のように見えてきた。口を開いたような影の部分から、かすかに音が漏れる。——カン、カン、と。厨房の音ではない。耳に近いところで、誰かがコップを指で叩いているような乾い...
ウラシリ怪談

点滅する交差点の影

住宅街の街灯が夜通し点滅を繰り返していたそうです。信号も同じように瞬き、赤と青が途切れ途切れに照らしては消えました……。ふと、信号が赤に変わる瞬間、交差点の真ん中に立つ人影が見えたといいます。次に点いた時には、もう歩道に移っていたそうです。足音もなく、車も止まったまま、光の間だけ存在を移していたようです。最後に街灯が長く点いた時、その影は信号機の真下にいたそうです。しかし直後、全ての灯りが一斉に消...
写真怪談

呼吸する壁

その空き部屋は、ビルの管理会社のあいだでも厄介者扱いされていた。テナントが退去して以来、なぜか工事が中断されたままになり、仮設の黄色い壁だけが立てられている。電気は通っているが使う予定はなく、ただ放置され、時おり巡回の警備員が足を踏み入れるだけの空間だった。「入った瞬間にわかるんですよ。空気が違うんです」そう語ったのは、夜勤明けの警備員の一人だった。廊下から扉を開けると、がらんとした部屋のはずなの...
晩酌怪談

焼き魚の眼が動いた夜

小さな居酒屋で、一人で酒を飲んでいた。焼きたての鯖の塩焼きが目の前に置かれたとき、俺は妙な違和感を覚えた。――魚の眼がこちらを見ている。そんな気配は珍しくない。焼き魚の眼は、誰もが一度は意識するものだ。だが、その視線は「こちらを責めている」としか思えなかった。箸を入れようとすると、魚の焼けた口が「パキ」と小さく動いた。気のせいだと思い、身をほぐして口へ運ぶ。脂の旨味が広がるはずなのに、苦みが舌を覆...
晩酌怪談

冷めない膳

深夜、男は机に向かい、買ってきた惣菜を肴に缶チューハイを開けた。豚肉とモヤシの炒め物は、もう湯気を失っているはずなのに、何度見ても白く立ち上る靄が見える。まるで熱を持ったまま、冷めることを拒んでいるようだった。串に刺さった胡瓜をかじり、ふと横を見る。キーボードの影に、誰かの手の甲がのぞいていた。自分のものではない。白く乾いた皮膚が、膳の端に寄り添うように置かれている。驚いて視線を戻すと、その手はも...
写真怪談

錆びた籠の中の囁き

庭の片隅に吊るされた、錆びの浮いた透かし彫りの鉄籠。その形は紅葉の葉を模しているが、じっと見つめていると葉の隙間から「目」がこちらを覗いているように思えた。ある夜、風もないのに鉄籠がわずかに揺れた。中から小さな声が漏れ出す。囁き声のようでもあり、泣き声のようでもあるそれは、聞き取ろうと耳を澄ませば澄ますほど意味を持ちはじめる。──出してくれ。──苦しい。声はそう繰り返していた。翌朝、鉄籠の下に植え...
ウラシリ怪談

受領簿の筆跡

落とし物センターに傘を取りに来た人がいたそうです。しかし駅員は「すでに受け取り済み」と答えたといいます。受領簿を見せられると、確かにその人の名前が書かれていたそうです。ただ、その筆跡は本人のものではなく、誰かが拙く真似たような字だったといいます……それ以上は確かめられず、記録だけが残っているそうです。この怪談は、以下のニュース記事をきっかけに生成されたフィクションです。2024年度の忘れ物件数が4...
写真怪談

裏路地に消える台車

昼下がりの飲食街。仕込みを終えた料理人二人が、台車を押して裏路地を歩いていた。白衣の背中に、午後の陽が滲む。ところが、その台車には何も載っていない。空のまま、軋むような音を立てて進んでいくのだ。「……なんか重くねぇか」片方がそう呟いた。もう一人も頷き、苦い顔をして汗を拭った。確かに、誰かを乗せているかのように、車輪は沈んでいる。すれ違った通行人がふと視線を落とすと、そこには見慣れぬ影が揺れていた。...
写真怪談

掘り起こされた操縦席

工事現場のショベルカーが、ゴウンと音を立てて土をすくい上げていた。だが作業員のひとりがふと違和感に気づいた。──運転席に、人がいない。「おい、誰が動かしてんだ?」誰も答えなかった。確かに重機は稼働し、アームは正確に土を掬い取っている。だがキャビンの窓は空っぽで、ハンドルに手をかける影も見えない。その時、バケットが大きな石を持ち上げ、半ば崩れた木箱と共に、苔むした石の破片を露わにした。よく見るとそれ...
写真怪談

緑の機影、戻らぬ道

そのバイク駐輪場は、昼間でもどこか薄暗く感じられた。緑色のカウルが目に刺さるようなスポーツバイクは、他のどの車体よりも新しく、艶やかだった。だが近づくと、風防ガラスに微かな曇りがあり、そこに映り込むはずの周囲の景色が、ほんの少しずれていた。覗き込むと、反射の中で歩く人々の顔がすべて見知らぬものになっている。しかも彼らは、こちらをじっと見返していた。次の瞬間、耳元でエンジンのアイドリング音が響き、バ...
写真怪談

午前3時11分発、ゆき先不明

深夜の大都市のバスターミナル、最終便のバスが発車した後の停留所は、ガラス越しの光とエンジンの残響だけが漂っていた。一台のバスが静かに入ってきた。時刻表示は午前3時11分。こんな時間の便など存在しないはずだ。乗降口が開き、中から降りてきたのは、黒いスーツの男。彼は何も言わず、停留所のベンチに腰を下ろすと、じっと目を閉じた。次の瞬間、まるでバスの車内から吹き出すように、同じ顔の人々がぞろぞろと降りてき...