小さな居酒屋で、一人で酒を飲んでいた。
焼きたての鯖の塩焼きが目の前に置かれたとき、俺は妙な違和感を覚えた。
――魚の眼がこちらを見ている。
そんな気配は珍しくない。焼き魚の眼は、誰もが一度は意識するものだ。
だが、その視線は「こちらを責めている」としか思えなかった。
箸を入れようとすると、魚の焼けた口が「パキ」と小さく動いた。
気のせいだと思い、身をほぐして口へ運ぶ。脂の旨味が広がるはずなのに、苦みが舌を覆った。
喉を焼酎で流そうとした瞬間、氷の当たる音に紛れて、かすかな声がした。
――「かえしてくれ」
反射的に顔を上げると、魚の眼が、はっきりと瞬きをした。
そのとき気づいた。皿の上の魚は、頭と胴が「生きていた頃の形」に戻ろうとしている。
身が盛り上がり、皮がうねり、焼け焦げた匂いに混じって、潮の匂いが漂った。
俺は慌てて皿を伏せた。周囲の客には気づかれていない。
だが皿の下では、確かに「海に還ろうとする音」が続いていたのだ。
その夜以降、焼き魚を見ると、必ずあの眼が蘇る。
瞬きするたびに、俺は食べ物と命の境目を突きつけられている気がしてならない。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。