晩酌怪談

晩酌怪談 晩酌怪談

「晩酌怪談」は、夜の酒の席を映した写真から生まれた物語を集めています。
盃を重ねる静かな時間に、不意の異変が忍び込みます。

記録はただその痕跡を示すだけで、確かめるのは読む方自身なのかもしれません……。

晩酌怪談

縄暖簾(なわのれん)の五番目

仕事帰り、同僚に呼ばれて店の前まで来た。赤と青の提灯がぬるい風に鳴り、ガラス戸の内側ではビールケースを積んだベンチに人が詰めて座っている。私は入り口の縄暖簾を撮ってから、手で割って中へ入った。縄は指先に冷たく、雨でもないのにじっとり濡れてい...
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麦穂の影、揺れる晩酌

夜の駅前でふらりと入った小さな居酒屋だった。木のカウンターに腰を下ろすと、店主が静かに「今日は良い風が吹いてますね」と言った。言葉の意味は分からなかったが、グラスに注がれたビールの泡が不自然に長く揺れていた。目の前の皿には、こんにゃくとピー...
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イカ刺しと“おやじ生き”

カウンターの木の艶が、古い血のように光っている。仕事帰りのホッピー、冷えたグラスに小さな泡が弾けた。皿の上には、透き通るようなイカ刺し。すだちの香りが、まるで潮風のように鼻をくすぐる。壁のメニューに目をやる。「アボカドスライス」「エシャレッ...
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ボトルの底から聞こえる声

夜更けのバーは、いつも静かだった。客が一人、また一人と帰っていき、最後に残るのは俺と棚に並ぶ無数のボトルたちだけになる。氷の音が溶けて消える頃、決まって聞こえるのだ。――カラン。まるで誰かがグラスを置いたような小さな音。その夜も同じように棚...
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最後の一個

秋祭りの帰り、あの店に寄ったのは偶然だった。人混みの熱気のまま、喉を冷やしたくて入った小さな居酒屋。店の奥、照明の届かない席に案内され、友人とハイボールを頼んだ。ジョッキはすぐに水滴をまとい、餃子が焼ける音が耳に心地よかった。三人で六個の餃...
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赤提灯の下で笑う影

夜の繁華街を歩いていると、赤提灯の列が異様に目を引いた。その灯りは温かくも見えるが、どこか血のように濃く、近づくほどに胸がざわつく。ある居酒屋の前、提灯の影に妙なものが映っていた。通り過ぎる人々の姿ではない。痩せた腕のような影が、提灯から伸...
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座るはずのない客 ― カウンターの常連

唐揚げをつまみ、ビールを飲み、何気なく撮った一枚。仕事帰りのありふれた光景のはずだった。だが写真を見返すと、卓上に奇妙な「濡れた手の跡」が浮かんでいた。油染みでも水滴でもない。人間の掌の形をした痕が、唐揚げの皿にかぶさるように残っている。気...
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壁に染みる声

居酒屋のカウンターに腰を下ろし、瓶ビールを注文した。料理が運ばれ、グラスを傾けながらふと壁に視線をやると、妙なことに気づいた。白い漆喰の壁に、なぜか濡れたような染みが浮かんでいる。ただの水跡に見えるのに、じっと眺めていると輪郭が人の横顔のよ...
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焼き魚の眼が動いた夜

小さな居酒屋で、一人で酒を飲んでいた。焼きたての鯖の塩焼きが目の前に置かれたとき、俺は妙な違和感を覚えた。――魚の眼がこちらを見ている。そんな気配は珍しくない。焼き魚の眼は、誰もが一度は意識するものだ。だが、その視線は「こちらを責めている」...
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冷めない膳

深夜、男は机に向かい、買ってきた惣菜を肴に缶チューハイを開けた。豚肉とモヤシの炒め物は、もう湯気を失っているはずなのに、何度見ても白く立ち上る靄が見える。まるで熱を持ったまま、冷めることを拒んでいるようだった。串に刺さった胡瓜をかじり、ふと...